緩やかに目をとじる
みなさんご機嫌よう。もーやんです。
本日は秋の読書感想文。『ボクはやっと認知症のことがわかった』について。
「痴呆」→「認知症」と呼び名を変えた経緯など、日本の福祉の歴史を変える転換点の話も興味深かったですが。。。特筆すべきは、著者自身が認知症になった後に書いているということ。
朝は気力ともに充実し、スッキリしているけど、午後から段々と朧気になる様子。
不安から、怒りっぽくなるときのこと。
読みながら、祖母を思い出しました。
ばあちゃんは、小学生の頃に同居していて、共働きの両親の代わりに家事を担っていました。
家に帰ると必ず居て、水戸黄門を見終わった頃にじいちゃんが帰ってきて、みんなでご飯。
お風呂から上がると、必ずじいちゃんは野球を見ながらコーヒーを飲んでる。かなりのヘビースモーカーで、居間には換気扇があった。今思うと珍しい間取りだけど、煙草を吸うときは腰の高さまで延ばした紐を引っ張って、換気扇をつけてくれてた。
ばあちゃんはその間に食器洗いやら家事を済ませて、一段落するとみんなでお茶。
まさに、2人は私にとって大人そのもの。
高校生の頃、ばあちゃんが認知症になった。よく知らないけど、病気になったと思った。
また同居することになったけど、距離が開いた。小学生の頃は完全なる保護者だったのに、すでに厄介な隣人になってしまった。
ある日の午前中。居心地の悪そうなばあちゃんを見て、私から友好さを示そうと久しぶりに話しかけた。その日のばあちゃんは饒舌で、恋ばなにも乗ってくれた。
なんで、じいちゃんと結婚したの?
私は28まで働いていたの。でも、おじいちゃんとのお見合いの話が来たときに、ついに私も年貢の納め時かと思ったのよ。
お見合いだったの?デートはした?
映画館に行ったかな
そんな話をした。家族との恋バナが初めての私は、意外さに興奮し、また、病気なのに調子の良さそうなばあちゃんに驚いた。
その後しばらくして、要介護度4になったばあちゃんは施設に入った。
入所したばあちゃんは、ますます厄介な隣人になってしまった。
ばあちゃん自身は、物静かで、優しくて、たまに、帰りたい と呟くだけだったのに。
『認知症は波があって、人が変わるわけじゃない。積極的に声をかけてください。』と本には書いてありました。もっとたくさん話しかければよかった。もっと楽しい気持ちを共有したかった。
ばあちゃんは、施設で1人なくなった。
父さんも、母さんも、よく面会に行き外に連れ出していた。孫の私だけ、ばあちゃんは厄介な病気にかかってしまったと思っていたのね。
苦くて、懐かしくて、不思議な気持ちになる読後感。。。
身内でも、誰でも、これからはできる範囲で目線を合わせたいな。まず、気持ちを聞くことから。私にできるのは、話を聞くことだけだもの。
そんな風に感じた、秋の夜長でした。。。