人からの評価ばかり気にしていた【営業ー紹介-姫野瑞己-(前編)】
今回ご紹介するのは、中退就職カレッジの営業を担当する姫野瑞己。大学を中退した過去を持つ彼女は、「誰かのきっかけに携わる人になりたい」という想いで、求職者の強みを引き出す就職支援を行っています。
前編では、そんな姫野が大学中退を決断するに至った経緯を語ってもらいました。
両親に褒められたくて強がっていた幼少期
小さい頃は負けず嫌いで、目立ちたがり屋でした。学級委員に立候補したり、休み時間に男子に混ざってドッチボールをしたりと、一見脚光を浴びるタイプでしたが、内心は「強がっていた」という感覚が強かったです。なぜそう思っていたのかというと、家庭環境に理由があります。
私の両親はどちらも中学校の教師です。ふたりとも朝早くから夜遅くまで、授業と部活の顧問に大忙しだったので、一週間を通してほとんど家にいない両親でした。だから私は0歳から保育園に預けられ、高校に入るまでは祖父母の家に帰る子供時代を過ごしました。
両親に面倒を見てもらえない寂しさから、「親に認められたい」という想いがひときわ強く、「お父さんお母さんにいかに褒めてもらえるか」だけをモチベーションに生きていました。
褒めてもらいたい一心で過ごしていたがゆえに、学校行事を頑張ったり、目立とうと躍起になっていましたが、一方で友達からの視線は冷ややかなものでした。今振り返ると、周りを見ずに突っ走ることが多く、とにかく自分が目立つことだけを考えた言動をしていた自覚はあるので、嫌なやつだったと思います…。
それほどまでに親からの愛情に飢え、親からの評価が自分のすべてだった幼少期でした。
母に憧れて吹奏楽の世界へ
中学生になると、吹奏楽部に入部しました。実は母が昔から吹奏楽部の顧問をしており、幼い私を抱っこしてまで部活へ指導しに行くほど、部活に全力投球している教師でした。その姿に憧れていたことから私も吹奏楽の世界に入り、猛特訓の結果、私の代で初めて京都代表として関西大会に進出しました。
当時も母は近隣の中学で吹奏楽部の顧問をしていたので、私にとっては母がライバルでした。だからこそ「母に負けたくない」というモチベーションで本気で練習に打ち込み、憧れの関西大会へ進出が決まった時はとても嬉しかったですし、今思い出しても良い経験だったと思います。
燃え尽きてしまった中学3年生
ところがその後、部活を引退してから人生の歯車がズレていきました。本気で部活に取り組み、悲願の大会進出を叶えてしまったことで、燃え尽き症候群になってしまったのです。
心が空っぽの抜け殻状態になってしまったことで、何をやっても空回りするようになり、人間関係にも支障が出るようになりました。
ところがそんな状態でもプライドだけは捨てられず、「学校で学ぶことなんて別にもう無い」と強がって、学校に行かなくなりました。そして逃げるように毎日塾へ通うようになりますが、学校に行けない自分に少なからずコンプレックスを感じていました。それによって、「こんな私を周りはどう思っているんだろう」と、幼少期以上に人からの評価を気にして苦しむようになりました。
将来は教師になる…?
常に人からの評価を気にしながら、高校に進学し、卒業後の進路を考える時期になりました。当時の私は、両親が中学校の先生だったことから「自分も中学校の先生になるもの」と思い込んでいました。
身近な職業として教師しか知らなかった、という背景はもちろんあります。ただそれ以上に、人からの評価をあまりにも気にし過ぎていたがゆえに、「『両親のように中学の先生になって、部活の顧問をしたい』と言えば、両親は喜んでくれるかもしれない」と思い込んでいたのです。
つまり他人軸だけで進路を考えてしまい、自分のために進路を考えられていなかったのです。そんなフワッとした進路決定だったことから、受験直前まで勉強に身が入らず、大学受験の結果は散々でした。
同級生と対照的な私
志望度の高い大学はことごとく落ち、滑り止めのさらに滑り止め程度にしか考えていなかった大学にしか受かりませんでした。ところが、その大学は中学の教員免許が取れる学部は無く、幼稚園や保育園、そして小学校の先生になるための学部しかありませんでした。
つまり、両親の期待に応えられるはずと見込んでいた「部活の顧問ができる中学の教員免許を取得することはできない」と、入学前から判明していたのです。
だから、「なりたい職業に就けない」とわかりきった中で始まったキャンパスライフは、つまらないものでした。授業には身が入らず、同級生との温度差を日々痛感し、小学校での安全管理の実習では「こんな覚悟で子供たちを守るなんて無理」と思ってしまうほど、教師へのモチベーションは消え失せていました。
働くことへの充足感
大学生活にギャップを感じていたからこそ、飲食店でのアルバイトの充実度は格別でした。
・自分でお金を稼ぐこと
・自分のお金で欲しい物を買えること
・同僚にもお客様にも認めてもらえた結果、役職をもらえた時の高揚感
ひとつひとつの体験が、「人からの評価を気にする私」にとってはとにかく新鮮で、何にも代えがたい満足感を得られました。働くことへのやりがいを覚えてしまったからこそ、両親に学費を払ってもらって嫌々通わなければならない大学への憂鬱さが浮き彫りになっていたのです。
そんな罪悪感が積み重なったことで、意を決して大学中退を決意しました。
頭を下げて大学を中退
ところが、大学を中退することに周囲は猛反対でした。
大学の友人には「逃げだ」と厳しく指摘され、両親からも大反対されました。極めつけに、小さい頃から親の代わりに育てられ恩を感じている祖母から反対された時は、罪悪感と申し訳なさでとにかく苦しかったです。「縁を切られるのではないか…」と思えるほど反対をされ、家族を裏切ってしまう感覚に情けなさでいっぱいでした。
それでも、中途半端な気持ちでこのまま大学に通う覚悟を持てず、最終的に家族に頭を下げて辞めさせてもらいました。
人生を変えた転機
そして中退後、転機が起きます。当時のアルバイト先の同僚から「東京で新しく飲食店のスタートアップ会社を立ち上げるからいっしょに行こう」と誘われたのです。実は当時、東京で型破りな経営をしてメディアで話題になっていた経営者に憧れていたことから、「型にハマった人生から抜け出したい!」という想いがありました。
だから願ってもいないチャンスに乗るべく、貯金も人脈もない中で覚悟を決め、実家を飛び出して上京しました。
後編へ続く
両親に認められたくて教員を目指すも、夢を叶えることができないショックから大学を中退した姫野。そんな彼女は、人生を変えるために東京に向かいました。
後編では、その後人材業界へ飛びこんだ経緯や、ジェイックの就職支援に人一倍の想いを燃やす背景に迫ります。
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