瞑想の初心者へ送る
瞑想について書いてみようと思います
瞑想っていうと、普通の人はなんだか馴染みのないものだと思います。
…ひたすらじぃっとして、座ってみるだけ…
じっとしてると、マインドがいろいろ動いてきます。体が動かないと、マインドが活発になっちゃうんですね。
「あれこれがこうだったな」
とか
「これがこうだったああだった」
などなど
とめどなく思考が流れてきます
これはマインドが動いているという事で、日本語では「ココロ」と言ったります。
なぜ、ココロ、というのか。
それは、動き回る思考のことなので、つまり、コロコロと動き回ってとめどがないものって感じでしょうか。
マインドが動いていると、マインドに支配されがちです。
感情がそれに引きづられて、あれこれそれに、感情がくっついて回って、非常に忙しく、それこそコロコロコロと落ち着きがなくなります。これが心の動きです。止まることがありません。
生きている限り、その動きは仕方がないもので、放っておくことが肝要です…なぜなら…
振り回されて疲れてしまうから!
エネルギーが消耗されていく!
人間は、起きているときは五感が働いています。五感は、生命活動と同じくして、止まることがありません。それに引きづられるようにしてココロも動きます。そして感情も湧いてきます。
五感は五感の対象となるものと一緒に動きます。
何か光っている
何か匂ってる
何か聞こえている
その刺激から思考が始まり、様々な思いがコロコロと生じて、止まることがありません。その止まることのない思考に巻き込まれてしまうと、もう、コントロールが効きません。その流れに、巻き込まれないようにして、思考を「見る」ようにして行きます。
──そこから瞑想が生まれます…
思考の流れを自分で見ることができるようになれたら、〜この思考はどこからきたのか?〜と観察してみます。それは、過去の記憶や印象からとめどなく流れて来ているとわかる。
そのとめどない思考の流れを観察することが大事です。
観察してると、それがただの記憶だったり気のせいだったり信じ込んだものだったり、いまここではないものに振り回されているのがわかります。コロコロしてるから、コロコロから離れて見て見るといいのですよね。コロコロは、いろいろな刺激、つまり五感や記憶から流れ出て来るものだってわかります。この辺りは慣れですかね。思考を見る慣れ。
ただの思考の流れなんだなってことに気づくこと
すると、ただの思考の流れ──コロコロを見ている自分がいる、ということに気づきます。その思考を見ている主体、それが言霊「ア」です。
「ア」の境地で見ると、いろいろなことがわかってきます。
ただの、心の活動である思考の流れが起きているというのが分かります。
インド哲学では、思考をブルッティvrtti〜機能/活動〜などと言います >ヨーガスートラの冒頭「ヨーガスチッタブルッティニローダハ」 yogascittavrttinirodhah─思考の止滅がヨーガである─
…思考というのは「機能」である… とは、言い得て妙。
それを止める、というのが「ヨーガ」の極意なんですね。
思考を見てみると、様々な刺激によってコロコロ変わっていく心が見えます。
そのコロコロを止めて見る。
止めるというのは簡単ではないです。
生きて、五感が動いていて、様々な刺激を受けている肉体を持っているからですね。
でも、それに気づくことはすごいことです>>>わかると気づくは微妙に違う
生きていることがつまり心の活動だって気づくのはとても有意義
言霊「イ」の上に全ての活動が展開している…生きているイノチ、です
で、その思考に巻き込まれないこと。
その思考を見ている自分がいることを知ること、それが瞑想の大事な部分です。
瞑想を説明するのは難しいですけど、こんな感じのアプローチで説明してみるのも悪くないなぁ〜と思って書いてみました。
心の動きを解説するには、その構造を知っていることが重要です。
言霊学は、その心の構造を解き明かしています。
よろしく!