見出し画像

「じゃがいも」のお寺話64 宗派

日本の仏教の宗派を調べると現代では13宗と出てきます。

1.法相宗、2.華厳宗、3.律宗、4.天台宗、5.真言宗、6.融通念仏宗、7.浄土宗、8.浄土真宗、9.時宗、10.臨済宗、11.曹洞宗、12.黄檗宗、13.日蓮宗

奈良時代には南都六宗と呼ばれる法相宗、華厳宗、律宗、三論宗、倶舎宗、成実宗という6つの宗派があったとされます。後ろの3つの宗派は現代の13宗には数えられていません。
また、浅草寺は聖観音宗、法隆寺は聖徳宗、清水寺は北法相宗、西大寺は真言律宗、鞍馬寺は鞍馬弘教(仏教でもないでしょうか)、金峰山寺は修験本宗など13宗にない宗派を名乗る寺院は少なくありません。一向宗という宗派も名前だけは歴史で良く聞きますし、一般に言う「新宗教」(もしくは新興宗教)と言われる宗教はどう考えれば良いのかも少し疑問に思います。

誰が13と決めたのでしょうか。

江戸時代初期に幕府側の都合で、お寺の管理と活用を目的とする本山末寺制度が始まったので、制度の中で宗派によるお寺の分類と本山と末寺の関係を決めていったとされます。
明治時代になって改めて神仏分離など仏教に対して政府が管理するときに13宗56派という区分を行い今に至っているように思います。

調べてもかなり曖昧なのですが、
明治時代初期までに日本の仏教の中で組織が存在して宗教的活動していたと公に認められていたのが13宗56派で「伝統仏教」と呼ばれています。
伝統仏教に対して明治以降、多くは戦後に発足した宗教団体を「新宗教」として言い分けているとの理解で良いと思います。
「新宗教」は仏教だけではなく、神道やキリスト教や他の宗教を元にした団体の場合もあるので「伝統仏教」と「新宗教」が対の関係にはならないですが、伝統仏教の範囲で話をしているので、13宗に分類する議論に新宗教が含まれることはありません。

宗教団体法という法律が1939年(昭和14年)に成立し法的に宗派が定められました。13宗56派と言われた宗派は宗教団体法で28宗派に集約されました。

1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃から太平洋戦争が始まり、1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争は終わります。

戦後に成立した日本国憲法で政教分離の方針が示されたため、法律で宗教活動を指示、制限するような行為は憲法違反になってしまいます。
1939年に成立し1940年に施行された宗教団体法は1945年の12月には廃止されました。その間はほぼ太平洋戦争だったので、法的に28宗派と定められたとしても28宗派が仏教界に馴染むことはなく、法律施行前の13宗56派が現代まで残っていると思われます。
戦前まで宗教は「不自由」だったので、新しく宗教団体を作ることはほとんどできませんでした。宗教の自由を憲法が保障したため「新宗教」と呼ばれるような団体がたくさん作られることになります。

新しい宗派も自由に作れるようになりました。
例えば浅草寺ですが、戦前は天台宗に所属していました。浅草寺は独自の観音信仰で関東最古のお寺として一般市民に愛されて来ましたが、政府の指示で特定の既存の宗派に属さないとならず、そのために天台宗に属していたのだと思います。浅草寺は1950年に聖観音宗となりました。
法隆寺も似た状況で、1950年に法相宗から独立して聖徳宗となりました。
新しい宗派を作るということは、いくつか同じ宗派になるお寺がありますが、一つのお寺が13宗から独立した場合「単立寺院」と呼ばれてどの宗派にも属さない寺院になります。
戦後に宗派を変えたり単立になったお寺は少なくないと思います。

修験道は神仏習合の色が濃く13宗に入っていないため、現代でも宗派による分類という面からすると除外されている印象があります。
日蓮宗の一部の宗派は江戸幕府や明治政府から排除され迫害に近い扱いを受けていたと聞きます。仏教系の新宗教に日蓮宗を母体にする団体が多いように感じますが少なからず影響しているでしょうか。

誰が勝手に13宗と決めたのでしょう。誰かが思いつきで決めたことに仏教界全体が翻弄され続けて今に至るのかなぁと思いますが違うでしょうか。
自由と言われると厳しい面も多々ありますが、それでも頭でっかちの官僚や政治家から強制されない現代の宗教は戦前より遥かに良い状況だと思いたいです。お寺から発信される本当の仏教を体感したいです。

いいなと思ったら応援しよう!