「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(行基)
鑑真和上以外にも奈良時代に活躍しその後の仏教界に大きな影響を与えた僧侶がいます。
行基(668年〜749年)
奈良時代は朝廷がお寺を管理していて、法要などの仏教行事の開催も細かく制限されていました。民衆に直接仏教の話や布教を行うことは禁止されていたようです。
そんな中で行基は一般の人々に広く仏教の話を伝えたいと考えて道端での布教的な活動を行っていました。その噂は朝廷まで届き、様々な弾圧を受ける結果になりますが、民衆からの圧倒的な人気により支持を得て乗り切りました。
朝廷の管理下にある仏教に敵対するための行動ではなく、民衆を助ける一途な思いから出た行動であるとの理解を得て朝廷が許可を出しました。
奈良時代ではかなりアバンギャルドな僧侶だと思います。時代が時代なら最澄、空海、法然、親鸞、日蓮のような仏教界に新しい息吹引き込む僧侶になったのでしょうか。
困窮者の救済を行ったり、ため池や橋を港や温泉を造ったり、お寺を建立したり、活躍した結果は多数多岐にわたります。
青森から九州までの広範囲に600以上のお寺を建立しているのではとの伝承があります。本当でしょうか。
1人で成し遂げるには莫大なので、行基の思いに賛同した仲間が各地で行った事業なのではないでしょうか。1ヶ月に1寺建てても50年かかります…。この他に土木事業への貢献もあります。多数の協力者がいたとしても凄いです。
異端だった行基は聖武天皇に気に入られ、当時の僧侶最高の「大僧正」の位を日本で初めて与えられます。さらに聖武天皇から東大寺大仏殿建立の責任者に任命されます。
行基は民衆に非常に人気があったのでそれを利用したとも言われていますが、行基の活躍なしに東大寺大仏建立は完成しなかったと思います。
行基とその支援者は日本中から勧進を集めてまわり、作業員を集めて事業遂行の具体的な仕事をしたと言われています。
聖武天皇、婆羅門僧正、良弁と合わせて東大寺四聖の1人とされます。
東大寺大仏殿建立に多大な尽力をした行基ですが、開眼法要が開催される前に亡くなってしまいました。近鉄奈良駅前には行基の像があります。遠くの大仏殿を観ていると言われています。