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『スライ&ザ・ファミリー・ストーン』栄光と挫折の歴史❶アメリカ黒人音楽入門⑤

今回はアメリカ黒人音楽において1960年代〜1970年代に異色の存在であり、音楽界最大級のビッグネームまで上り詰めながら、早い時期から転落してしまった『スライ&ザ・ファミリー・ストーン』について。
主にバンドリーダーである『スライ・ストーン』について、紹介したいと思います。

1960年代後半〜 1970年代初頭にかけての『スライ&ザ・ファミリー・ストーン』の人気と影響力はとにかく絶大でした。
今やソウル好きの音楽ファンでもあまり話題に登らないのはその後の人気の低迷によるもの。
僕は人気低迷の原因は『スライ・ストーン』の音楽的才能の枯渇・限界などではなく、あくまで本人の薬物依存による精神面でのコンディションと、半分は自ら招いたマネジメント面で周囲に見捨てられてしまったことが原因だと思っています。

①『スライ・ストーン』プロフィール

スライ・ストーン(Sly Stone)
本名『シルヴェスター・スチュアート』(Sylvester Stewart)
生年 1943年3月15日 -
アメリカ合衆国テキサス州デントン生まれのミュージシャン、作曲家、レコードプロデューサー。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンのリーダーとして有名。
1960年代から1970年代にかけて、ソウル・ファンク・サイケデリック音楽の発展に決定的な貢献を果たした。

②『スライ&ザ・ファミリー・ストーン』結成とCBS契約まで

1952年 スチュアート家の最年少4人の子供(シルベスター、フレディ、ローズ、ヴァエッタ)が『スチュアート・フォー』を結成。初シングルをリリース。

高校在学中、シルベスターとフレディはいくつかの学生バンドに参加。
The Viscaynes(ザ・ヴィスケインズ)と呼ばれるドゥーワップ・グループはその中の一つ。 いくつかのローカルシングルをリリース。
シルヴェスターは「ダニー・スチュアート」という名前でいくつかのソロシングルを録音した。

1964年 シルベスターはカリフォルニア州サンマテオにあるR&Bラジオ局KSOLでディスクジョッキーになる。
この時初めて『スライ・ストーン』という芸名を使用。
ビートルズやローリングストーンズなどの白人パフォーマーをプレイリストに含めた。
また同じ時期に、彼はオータムレコードのレコードプロデューサーとして働く。
ボーブラメルズやモジョメンなどのサンフランシスコ地域のバンドのためにプロデュースした。
スライはKSOL-AMをソウルミュージックの専門局に育てた。

1966年 スライ・ストーンは『スライ&ザ・ストーナーズ』と呼ばれるバンドを結成した。
同じ頃、フレディは『フレディ&ザ・ストーン・ソウルズ』と呼ばれるバンドを結成した。
ストーンの友人の提案で、サックス奏者の『ジェリー・マティーニ』と、スライ、フレディがバンドを結成。

1966年11月 『スライ&ザ・ファミリー・ストーン』を結成。
スライとフレディはどちらもギタリストだったので、スライはフレディをファミリー・ストーンの公式ギタリストに任命。
自身は独学で電子オルガンを演奏した。

ウィンチェスター大聖堂でのギグの後。
CBSレコードのエグゼクティブである『デビッド・カプラリック』は、CBS傘下の『エピック・レコード』レーベルと『ファミリー・ストーン』の契約を成立させた。

③デビュー初期

『I Ain't Got Nobody/アイ・キャント・ターン・ユー・ルース(オーティス・レディングのカヴァー)』スライ&ザ・ファミリー・ストーンのデビューシングル。

サンフランシスコのローカル・レーベルLoadstoneから発表。

I Ain't Got Nobody (For Real) デビューシングルAサイド

I Can't Turn You Loose デビューシングルBサイド

このシングルが切っ掛けとなり、バンドはエピック・レコードとの契約を得る。

1967年 1stアルバム『新しい世界』

『新しい世界』スライ&ザ・ファミリー・ストーン リリース 1967年10月
レーベル エピック・レコード プロデュース スライ・ストーン

1967年 ファミリー・ストーンの1stアルバム『あたらしい世界(A Whole New Thing)』リリース。
特にモーズ・アリソンやトニー・ベネットなどのミュージシャンから高い評価を得た。
しかし、アルバムの売り上げが低かったため、彼らの演奏場所は小さなクラブに限定された。
そして音楽プロデューサー『クライヴ・デイヴィス』と所属のレコードレーベルが彼らの音楽制作に介入した。

デイヴィスはスライにレコードの作成と録音について話した。
スライとバンドはしぶしぶシングル「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」を制作した。

Sly & The Family Stone - Dance To The Music (Audio)

 1968年2月にリリースされた「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」は、画期的なヒットとなった。
バンドの最初のチャート・イン・シングルとなり、ビルボードホット100で8位になった。

1968年 2ndアルバム『ダンス・トゥ・ザ・ミュージック』

『ダンス・トゥ・ザ・ミュージック』スライ&ザ・ファミリー・ストーン 
リリース 1968年4月
レーベル エピック・レコード プロデュース スライ・ストーン

本作に先行して「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」がシングルとしてリリースされ大ヒット。
そして、本アルバムはBillboard 200で142位、『ビルボード』のR&Bアルバム・チャートでは11位に達している。

1968年 3rdアルバム『ライフ』

『ライフ』スライ&ザ・ファミリー・ストーン リリース 1968年9月
レーベル エピック・レコード プロデュース スライ・ストーン

アメリカのBillboard 200では、前作『ダンス・トゥ・ザ・ミュージック』ほどの成功は収められず195位。

M'Lady (Original)

Life (Original)

本作からは「マ・レディー」「ライフ」が両A面扱いのシングルとしてリリースされ、Billboard Hot 100で93位に達した。

アルバム『Dance to the Music』の売り上げは好調だったが、次に出した『Life』は商業的に成功しなかった。
しかし売れ行きに関係なく、この2作のアルバムの影響力は絶大で、1968年9月には英国ツアーも予定されていたが、コンサートはキャンセルとなった。

④4thアルバム『スタンド!』と『ウッドストック』出演

Sly & The Family Stone - Everyday People (Official Video)

1968年11月1日 シングル『エヴリデイ・ピープル』がバンドの5枚目のシングル曲として発表された。
1969年2月15日から3月14日にかけてビルボード・Hot 100の1位を4週連続で記録。
また同時にビルボードのHot R&B Singlesチャートでも2週連続で1位を獲得した。1969年のビルボード年間チャート5位を記録し、ゴールドディスクに輝いた。

グループの代表曲の一つであり、平和と平等と連帯を高らかに歌い上げた歌詞と明るいメロディから、60年代後半のカウンターカルチャー・ムーブメントを代表する曲ともなった。
「different strokes for different folks」という言葉は、本作品によって広まった。
・“different strokes for different folks” = 『人それぞれ』
人にはそれぞれ違った趣味や好みがあり、人と異なることは必ずしも悪いことではないということを意味することわざ。

また、ベースのスラップ奏法がレコードに現れた最初の例のひとつと言われている。

1969年 4thアルバム『スタンド!』

『スタンド!』スライ&ザ・ファミリー・ストーン リリース 1969年5月3日
レーベル エピック・レコード プロデュース スライ・ストーン

4thアルバム『スタンド!』は、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの活動歴のなかで、芸術面で最も高みに昇ったアルバムのひとつ。
多くの重要な曲を収録している。

Sly & The Family Stone - Stand! (Official Audio)

Sly & The Family Stone - I Want to Take You Higher (Official Audio)

・アップテンポな曲=「Sing a Simple Song」、「I Want to Take You Higher」など
・励ますメッセージ=「You Can Make It If You Try」、「Stand!」など
・政治的・社会的テーマ=「エヴリデイ・ピープル」、「Don't Call Me Nigger, Whitey」など

SUMMER OF SOUL | Official Teaser

映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
公開日:2021年8月27日
監督:アミール・“クエストラブ”・トンプソン
出演:スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ザ・フィフス・ディメンション、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンほか
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

1969年の夏、アメリカ・ニューヨーク州で開催された歴史的な野外コンサート『ウッドストック・フェスティバル』
実は同じ時期に、会場から160キロ離れた場所で、もう一つの革命的な音楽フェスティバル『ハーレム・カルチュラル・フェスティバル』が開催されていた。
同フェスには、スティーヴィー・ワンダーや、B.B.キングら、ブラック・ミュージックのスターが集結し、30万人以上の観客を熱狂させた。

『アミール・“クエストラブ”・トンプソン』
ー監督を務めるのは、4度のグラミー賞受賞者であり、ディアンジェロやジェイ・Zのプロデューサーでもあるヒップホップ界の重要人物 。
声優としても活躍する『クエストラブ』が、同作品で映画監督デビューを果たした。

1969年 より広く知られている『ウッドストックフェスティバル』の数週間前に『マウントモリスパーク』で開催された『ハーレム・カルチュラル・フェスティバル』
数万人の観客の前で、スライ&ザ・ファミリー・ストーンがフェスティバルのヘッドラインを飾った。

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