ジャズ・フュージョンベーシスト/ミュージシャン『ジャコ・パストリアス』について③1981~主にジャコ・パストリアスの死について
『ジャコ・パストリアスについて』第3弾です。
以上がnoteでの関連記事です。
今回は1981年からです。
1981年
『ワード・オブ・マウス』ジャコ・パストリアス Warner Bros.
ジャコパスでのソロ名義のアルバム第二作目。
デビュー作が1976年の『ジャコ・パストリアスの肖像』
この間に多くの作品を残していますが全て『ウェザー・リポート』か、他のミュージシャンの作品への参加となります。
時間的には1st~2ndの間には『5年の隔たり』があります。
1stは妻トレーシーがもたらした偶然によりBS&Tのボビー・コロンビーに知り合えた結果というのもあるけど、本人にもウェザーのメンバーという意識もあっただろうし、単純に売れっ子ベーシストとして忙しかったというのもあります。
プロデュースはジャコパス自身。レーベルもワーナーに移籍しています。
こちらも捨て曲なしで、プロデューサーとしてのセンスと成長も感じられる完成度の高い作品。
1.Crisis
フリー・ジャズ的なジャズセッション。最初にジャコパスの速弾きベースがあり、そのトラックだけを聴きながら参加ミュージシャンが一人ずつ即興演奏。
それらのトラックを後からミキシングした曲。
2.3 Views of a Secret.
ウェザーの『ナイト・パッセージ』に収録されている『Three Views of a Secret』をソロ名義で再録。
トゥーツ・シールマンズのハーモニカを軸にしてビッグバンド風に再アレンジ。
タイトルも『Three』⇨『3』に変えています。
個人的にはこちらのアレンジの方が断然好きです。
3.Liberty City
ビッグバンドでのライブ演奏を念頭において作曲された曲。ジャコパスはのちに『Word of Mouth Big Band』を結成してツアーを行います。
4.Chromatic Fantasy
ジャコのベース運指練習曲。オリジナルは、
J.S.Bach Chromatic Fantasia and Fugue in d minor,BWV 903
バッハの『半音快適幻想曲とフーガ』
5.Blackbird.
こちらもカバー
Blackbird.The Beatles.
ザ・ビートルズの『ホワイト・アルバム』収録の小曲。
ポール・マッカートニーによる、アコースティック・ギターとボーカル、SEと足踏みのみの曲で、
やはりバッハの『ブーレ ホ短調』に触発されて作られた。
ジャコパスの方はアレンジをオーケストラにして、メロディ・パート(オリジナルならボーカル・パート)をトゥーツ・シールマンズのハーモニカが担当。
6.Word of Mouth
ジミヘン的なロックギターっぽいソロで始まるけど、やはりベースでやってます。
ロック好きにもウケそうなかっこいい曲。
7.John and Mary
この曲にはスティールドラムが使われて、ゆったりとした曲調。
何よりもジャコの二人の子供『ジョン』と『メアリー』の笑い声と歌い声が随所に入っているのが特徴。
1982年
『ウェザー・リポート'81』ウェザー・リポート COLUMBIA
フュージョン・バンド『ウェザー・リポート』のデビューアルバムのタイトルが、
『Weather Report(ウェザー・リポート)』
『ウェザー・リポート』1971年リリース
ジャコパス加入は5年後の1976年『ブラック・マーケット』から。
そのデビュー作と区別するため、日本版は『ウェザー・リポート'81』というタイトルになっています。※日本版のリリースは1982年
ジャコパスとドラムスのピーター・アースキンはこのアルバムを最後に脱退。
ジャコパスの楽曲提供も一曲もなし。
1983年
『インヴィテイション』ジャコ・パストリアス WARNER BROS.
1982年9月 ジャコパスが『ワード・オブ・マウス・ビッグ・バンド』を引き連れて来日、オーレックス・ジャズ・フェスティバルでのライブ音源を収録したライブアルバム。
本来、
『TWINS Ⅰ&Ⅱ〜ライブ・イン・ジャパン'82』ジャコ・パストリアス
日本国内限定販売の『Twins Ⅰ』と『Twins Ⅱ』という2枚のライブアルバムをワーナー・ブラザースが1枚にコンパクトに編集し、世界販売した作品。
ライブアルバムでありながら聴きやすく、初心者向けでもある。(『インヴィティション』の方)
しかも発売時は6曲収録だったけど、現在CDや配信で購入すると、9曲収録になっています。
1.Invitation.
2.Soul Intro/The Chicken.
7.Reza/Giant Steps/Reza
収録された9曲中7曲が公式アルバムに入ってない新曲。
1981~1987年 『ジャコ・パストリアスの死について』
ジャコパス関連の文献としてもう一冊のおすすめ。
こちらは伝記本というよりもジャコ生前のインタビュー集。
人気絶頂期から一気に落ちぶれ、ホームレス・浮浪者状態にまでなって、亡くなったジャコ・パストリアス。
彼の転落について私見を述べようと思います。
ウェザー・リポートのメンバーとして活動中にさまざまなストレスから逃れようとアルコールやドラッグに手を出し、最終的に『双極性障害(躁鬱病)』という精神疾患に苛まれた。
1982年にウェザー・リポートを脱退したあたりから生活面で荒れ初め、来日ツアー中の奇行は、ドラッグや精神疾患によるものだとされる。
帰国後はマイケル・ブレッカーから勧められて精神病院へ入り、リチウムを処方された。
この荒れた生活と精神状態のため2人目の妻イングリッドと離婚。
1986年 彼の精神状態はさらに悪化し、アパートを追い出された後は路上生活を送っていた。
この年の6月には前妻のイングリッドの助けを得て精神病院に再び入院するが、年末には再び路上生活に戻っている。
1981年に発表された2ndソロ作『ワード・オブ・マウス』
このリリースを挟む1980~1982年の間に3枚目のソロ名義となる『Holiday For Pans』のレコーディングが行われました。
『ホリデイ・フォー・パンズ』ジャコ・パストリアス Warner Bros.
しかしこの作品はワーナーによって、リリース拒否となり、さらに損失の穴埋めとして代理でリリースされたのが日本版のみリリースの『Twins Ⅰ & Ⅱ』をコンパクトに編集した『インビテイション』でした。
このリリース拒否の理由として言われているのは、
1.『Holiday For Pans』が内容的に、ワーナーの期待からずれていた。
2.前作『Word of Mouth』が期待していたほどの売り上げを出せなかった。
以上2点が挙げられます。
1について、
『Holiday For Pans』は現在Soud Hillという日本のレーベルからリリースされていますが、ジャコが目指した完成品の形ではなくなって、死後見つかった音源のリリースです。
その未完成の音源を聴くと、主役はスティールドラムのオセロ・モリノウのようで、ジャコはその作品のプロデューサーといった内容。
2について、
ジャコがワーナーと契約した時点で、彼はすでにウェザーのスタープレイヤーであり、ジャズ/フュージョン界の期待の新星。
だからこそ『Word of Mouth』のレコーディングにも多額の予算をかけた。
・60人以上のミュージシャンの参加。
・レコーディングには7箇所のスタジオが使われた。
など。
『Word of Mouth』自体もジャコパスが意欲的に取り組んだ作品だとは思うのですが、その売り上げが伸びなかったのは、本人にとってもショックだったはず。
これらが影響して、アルコールとドラッグに手を出し、精神疾患となり、奇行が目立ち、さまざまな共演ミュージシャン、スタッフが持て余すほど。
1982年ごろに、多くは憶測なのですがこれらの理由により、ワーナーはジャコの契約を解消します。
以後、ジャコパスは健康状態や、奇行や荒れた生活から来る悪評によりニューヨークのジャズ・クラブ等の多くから出入り禁止を受けるなど、業界から「干された」状況となって行く。
1987年9月11日
地元フォートローダーデールに来ていたサンタナのライブに無許可で飛び入りしようとしたところ、警備員に取り押さえられ、会場から追い出されてしまった。
翌日未明
「ミッドナイト・ボトルクラブ」という店に泥酔している状態で入ろうとしたところ、空手技能を持ち合わせたガードマンと乱闘になる。乱闘の際、コンクリートに頭部を強打、脳挫傷による意識不明の重体に陥ってしまった。
病室では昏睡状態が続いて一向に意識回復などの兆しがみられず、植物状態としてかろうじて心臓だけは動き続けていた。
親族による話し合いの末、ジャコの父親であるジャックにより人工呼吸器が外された。
1987年9月21日21時25分
親族と病院関係者らが見守る中、永眠。彼の生まれ故郷であるフロリダの地で35年9か月あまりの生涯を閉じた。
(暴行容疑で逮捕起訴されたガードマンのリュック・ヘイヴァンは、後の裁判で第二級謀殺罪が適用されたが、4カ月の収監の後保釈された。)
その後の『Holiday For Pans』
1981年製作後、ワーナーによりリリース拒否となった本作。
1986年 ジャコパスはベルビュー病院に17週間滞在したとき、テープが彼の商業的復活の鍵であると信じて、テープに執着し始めました。
ベルビュー病院からの1日外出許可を確保した後、パストリアスは「アッパーイーストサイドの小さなジングルスタジオ」でエンジニアのケニー・ジャッケルと『Holiday for Pans』をミックスしました。
ジャコはマスターテープをジャッケルに託し、「俺以外の誰にも譲らないように」と指示。テープはジャッケルのスタジオのクローゼットに数年間残っていた。
パストリアスは人生の最後の数か月間、『Holiday for Pans』をさまざまなレーベルに売り込もうとした。彼は作家であり友人でもあるビル・ミルコフスキーに、ジャッケルのスタジオで作成されたラフミックスのカセットをダビングして、さまざまなレコード会社に提出するように指示しました。
最終的にジャコは、『Holiday for Pans』をリリースするための別のレーベルを見つけることができなかった。
1980年代半ばにジャコはさまざまなレコーディングにゲストとして参加していたが、ジャコの行動と業界関係者との関係の悪化により、1987年に亡くなるまでに別のレコード契約を結ぶことができなかった。
1993年、ビルボードは、日本のレーベルSound Hills Records(配給会社Super Stopが所有)の責任者がケニー・ジャッケルの所有する『Holiday for Pans』マスターテープに155,000ドルを現金で支払ったと報告。
1993年4月26日 Sound Hillsは日本でアルバム『Holiday For Pans』をリリースした。
内容的に他のプレイヤーによるベースがミックスされているといった嫌疑があったり、ジャコパスの遺族からの了承が認められずアメリカでのリリースは一時拒否されていた。
現在JacoPastoriusの公式ウェブサイトで、1993年の『Holiday for Pans』のプレスは認められています。
興味のある方は、音源を聴いてみてください。
2.Elegant People.
最後に2014年公開のドキュメンタリー映画『JACO』
JACO Official Trailer.
追記 コメントに質問があった件
1984年夏
Live Under The Sky.1984.Japan.Gil Evans With Jaco Pastorius.