見出し画像

母の日に母の本音を訊いてみた!

母の日からちょうど一週間が過ぎました。今年の母の日は、地元の婦人会で終活話をしてきました。ちょっと遡って、ゴールデンウイーク期間中には、老人クラブの部長会と、コミュニティセンターでやってきました。演題はみな同じで、『選ぶだけ!この場で書けちゃうエンディングシート体験講座』でした。

が、講座の中身の話はさておき、今回は講座終了後にご協力いただいたアンケートのことを書いてみようと思います。それなりのサンプル数(有効回答70件)が集まったので。他に、お子さんのいらっしゃらない方が7名、ご協力いただけなかった方が5名でした。

回答者70人の男女比ですが、

●老人クラブ:男性27、女性2
●コミュニティセンター:男性5、女性12
●婦人会:男性2、女性22

で、全3回を合計すると、男性が34名、女性が36名…でした。なお、回答者の年代ですが、全員が60代から80代。いずれも、(自己申告ですが)元気な人たちです。

今回用意した質問は、以下の3つです。

もしも運悪く介護が必要になってしまったとしたら、

①     わが子に介護に携わってもらうことを望みますか?
②     わが子に介護に携わってもらわずを得ないと思いますか?
③     施設と自宅のどちらで暮らしたいと思いますか?

集計結果は、以下のようになりました。

もしも介護が必要になってしまったら?

私はほぼ四半世紀、社会福祉士としてこうした活動をしていますが、例えば20年前と比べると、いわゆる老後観が大きく変化したことを実感します。昔は、「親の老後は子どもが似るのが当たり前」とか、「施設は環境が劣悪で姨捨山か収容所」とかいう認識がかなりあったものでした。

でも、2000年の介護保険スタート以降、介護をはじめとする福祉というものが「施し」から「契約」に変わり、歳月を重ねながらサービス品質が飛躍的に向上し、かつて業界に根づいていたスキャンダラスなイメージも払拭されたように感じています。

今回の結果を見ても、「娘や息子に自分の介護などさせたくない」という親が9割です。男性に限れば100%です。また、施設派が4割で、自宅で療養するのと比べて、いかに施設のほうが安心・安全・快適であるかが認知されてきたといっていいでしょう。

一方で、「現実問題としては(不本意ではあるけれど)子どもに面倒をかけざるを得ない」という人も4割超という結果となりました。

経験則でいうと、こういう人たちの殆どの理由が経済的なことです。「施設に入ったほうがいいのだろうけど、おカネがないから自宅で何とかするしかない」…。そう言うのです。

実際の相談援助の場面では、施設介護よりも在宅介護のほうがやすいという誤解や錯覚に気づいてもらうようにします。目に見える介護関連の費用以外にも、食事・買物・掃除・洗濯・見守りといったあれやこれやを民間の家事代行事業者に頼めば、月額15万円はくだらないこと。こうしたサービスを利用しないとすると、お子さんたちが(作業のみならず)コストをも肩代わりしてくれているから目に見えないだけかもしれないこと。この点を考慮すると、必ずしも「施設より自宅のほうがやすい」とは言えないこと…等を伝えます。

なので、最低でも想定コストくらいのおカネをお子さんに渡しておかなきゃ、ちょっとおかしい。本来は、仕事や家庭で忙しい合間をぬって親をサポートしてくれるお子さんにお駄賃(報酬)をあげてもいいくらいじゃないでしょうか…みたいに話します。

そうすると、多くの場合、在宅派だった人たちが施設に方針転換するようになります。どうしても予算が足りない場合には、生活保護を受給してもらうことで特養や老健といった公的施設に入ってもらうケースもあります。生活保護についても、親戚や近所に知られるリスクがないことを理解してもらうことで、以前のような抵抗感がなくなってきたように思います。裏金議員たちのこともあり、国民の権利を行使して当然という考えは、これからますます広まっていくのではないでしょうか。

こうした話をする際に、親の老後のことをメインで担うお子さんが同席してくれると実にスムーズに事が運びます。そうでないと、いくら親が納得したとしても、それをお子さんにうまく伝えきれないんですよね。で、むしろ子どものほうが妙な気を遣ってしまって、「仕事や家庭をやりくりして、できるだけのことは自分もするから、とりあえず在宅で様子を見ようよ」みたいになってしまう…。こうした情緒的な判断が、ビジネスケアラーとか介護離職とかの社会問題に繋がっていくんですね。

介護をはじめとする老親問題は、中期的な視点に立って理性的・合理的に判断しないといけません。でないと、心身の状態が悪化してゆく親側と、取り巻く状況が悪化していく子ども側の溝が広がって、残念な顛末が待っているものです。わかりやすいのが認知症のケースで、判断能力が損なわれていくにつれ、元気だった時には「もしもの時には躊躇せず施設を段取りしてくれるように」と言っていた親が、施設見学に行くことさえ拒絶して暴れだしてしまったりするのです。

だからこそ、親の側は、認知症を発症してしまわないうちに(元気なうちに)、「もしも私がボケてしまった時には、ためらうことなく施設に入れてちょうだいね。まちがっても、あなたの仕事や家庭に支障をきたすようなことはしないようにね。そんなことにでもなったら、私は死んでも死にきれないからね」と、(そう望むのであれば)明確に伝えておくようにしたいものです。

でないと、いざその時になって、親想いのやさしい子どもほど自分が何とかしなくっちゃと無理をしてしまうものなのです。あるいは、自分が介護することが親孝行なのだと誤った考えに支配されてしまったりするのです。素人が介護に直接かかわることは、親子双方にとって不幸をもたらします。介護自体はプロに委ね、子どもは親の心に寄り添ってあげる…。そうすればこそ、エンディングの後も、親に対するネガティブな記憶や感情に縛られずに済むのです。

ただ、残念なことに、実際には自分の意思を明らかにすることなく、まさかが起きてしまう親が殆どです。親の考えを聞かされていなかった子どもは、相当なストレスやジレンマに苛まれることになります。それを回避しようと思うのであれば、親との会話を漫然と先送りするのでなく、自分のほうから親に終活話を持ちかけるしかありません。でないと、結局大変な目に遭うのは子どもの方なのですから。

仮に終活話を持ちかけても、親が明確なビジョンを示してくれない場合には、子どものほうから、「いやな話かもしれないけど、もしも将来、お母さん(お父さん)が認知症になっちゃったり、寝たきりになっちゃったりしたら、どのタイミングで施設に入るかは私の判断に任せてもらっていいかな」と言うしかありません。

さらに言えば、兄弟姉妹がいる場合には、そのやりとりをボイスレコーダーで録っておきたいところです。というのも、「嫌がるお母さんを、アンタが勝手に施設に入れたんでしょッ」などとクレームしてくる輩がいて、それが争族の火種になるというケースがままあるからです。そんな時のための保険ですね。

こんな仕事をしていると、子どもというのはひとりっ子が理想だと、つくづく思います。兄弟姉妹というのは、仲がいいのはせいぜい小学校ぐらいまでで、それぞれの家庭を持つようになれば、ほぼアンチなのではないか…。そう感ぜずにはいられません。

おカネが絡むと、どうしても双方が構えてしまうような気がします。配偶者がいればなおさらです。義理の父母の財産は、配偶者には何の権利もない(『特有財産』といって、すべて実子にのみ帰属する)のに、です。ホント、おカネはおっかね~んで、先手先手を打ちたいところです。

やや話が逸れましたが、エンディングを迎えるまでに想定される『まさか』については、親は元気なうちに、そうなったらどうしたいのかを(老い先を託したい子に)希望を伝えて、それに必要となるおカネは先渡ししておかねばなりません。子のほうは、親が元気なうちに希望を聞きだして言質を取って、あわせてコスト分ぐらいは預けておいてもらうようにする…。

こんなふうにおカネが絡む話ですから、親子間の信頼関係がモノを言います。みなさんの立ち位置が親サイドであれ子サイドであれ、この点に自信がないとしたら、まずは長年かけて離れてしまった親子間のこころの距離を縮める作業が必須でしょう。

母の日、父の日、誕生日、記念日、バレンタインデー、ホワイトデー、クリスマス、お正月、七夕…。何でもいいです。理想は隔週ですが、せめて月に一度は何かにかこつけて、グリーティングメッセージをLINEすることをおすすめします。コミュニケーション頻度と信頼関係には、プラスの相関関係があることが実証されていますので…。

とにもかくにも……、兄弟姉妹がいると何かと面倒です。心の底から、そう思っています。ひとりっ子の人たち、本当によかったですね! 

いいなと思ったら応援しよう!