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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】認知症介護の迷宮(1)

「おかあさん、お昼ご飯、まだなの?」

幼児に返ったかのような義母の声。1分間に何度おなじ台詞を吐くのだろう。沈痛な想いで返事の言葉を探す悠子が気づくと、声の主がすぐそばで、また不平を口にする。

「おかあさん、ねぇ、お昼はまだなの?」
「ちょっと待ってて。いまお洗濯しちゃうからね。テレビ観ながら待っててください」
「だってぇ、お昼ご飯食べなくちゃ、おなかがすいちゃうのにぃ」
「わかったから。すぐ支度するから、お願いだからちょっと待ってて」

この3ヶ月あまり、毎日がこうだった。義母の様子がおかしいと感じたのは約半年前。階段を踏み外して足腰を打ち、2週間ほど入院生活を強いられ家に戻ってきてからだ。きっかけはトイレ。トイレが水浸しになっていて、あわてて後始末に取りかかって、それが水ではないことがわかったのだ。

義母はもう80代も半ば。そんなことがあってもおかしくはない。

そう言い聞かせて、本人には何も告げずにおいたのだが・・・。しかし、トイレの粗相は頻度を増し、義母がトイレを使うと、2回に一度はそんな状況になるのだった。

銀行の支店長を務める夫は超多忙だった。妻のそんな話も正面からは聞き入れてくれない。夫の頭のなかには、かつての厳格な母親のイメージしか残っていないのだ。

「今朝もよぉ。一度お医者さんに診てもらったほうがいいかもよ」
「大丈夫だよ。そりゃあ、歳が歳だから、そういうこともあるかもしれないよ。でも、ちょっとこぼしちゃっただけだろ?本人に注意するように言えば大丈夫だって。俺が言っておくから」
「でも、怒るよ。ストレートに言ったら」

こんな調子で、夫はまったくわかっていなかった。案の定、夫がそのことに触れると、義母は人が変わったようにいきり立った。

「私じゃない! そんなことするわけないじゃない! 何でなんでそんなこと、私に言うのよ!」

しばらくすると、トイレでの粗相はさらにひどくなる。自分の排泄物を便座に鏡餅のように盛るようになったのだ。たまたま実家に遊びに返っていた娘が血相を変えて飛び込んできた。

「ママ、ちょっと! もうイヤだ~っ」

娘に手を引かれていって目にした光景は…。

週に何度か、義母の妙な儀式が執り行われるようになった。その後始末をしながら、悠子は気分が悪くなり、偏頭痛に悩まされるようになった。話を聞いた夫は、はじめは大笑いしたが、娘の証言もあり、無関心ではいられなくなった。とは言え、仕事は絶えることなく忙しく、自分が動くことは容易ではない。

やむなく、悠子は義母を連れて知り合いのクリニックへ出向いたのだった。しかし、内科医では状況がつかめず、駅向こうにある公立病院の精神科を紹介されることに。もの忘れ外来というやつだ。

ここにきて、義母の行動には顕著な特徴が出てきた。ひとつは、排泄の粗相に加え、食事のことだ。とにかくよく食べる。そして、その食べ方は筆舌に尽くせぬものだった。食い散らかすという表現がいちばん近いだろうか。

ひたすら口に詰め込み、許容量を越すと吐きだし、それをまた食べるのだ。見るに堪えない光景だった。ある時期から介護用のエプロンを使うようにしたのだが、それもすぐに取っ払ってしまう。義母が食べた後の掃除は大変だった。

もうひとつは、時間に異常なこだわりを見せること。階段から落ちてリハピリのために通うようになったデイサービスに週2回通っているのだが、施設からの迎えがくる3時間以上も前から玄関で待機しているのだ。まだ早いと悠子がなだめても、「遅れたらどうすんのよ。ご飯がたべられなくなっちゃうでしょう」といった具合である。

やっと出かけてくれたと思って家事につけば、洗濯しようとした義母の衣類のポケットから、ていねいに折りたたんだトイレットペーパーが出てくる。異臭が鼻をつく。使用済みのものをトイレに流さずに大切に持ち帰るようになったのだ。

悠子は頭がおかしくなりそうだった。夜も頻繁にトイレに行くようになったし、部屋でも何やらゴソゴソと騒がしい。偏頭痛に加え、眠れない日が続くようになった。だが、毎日を同じ屋根の下で過ごしていない夫には、悠子ほどの逼迫感はない。大いびきをかきながら腹を突き出して眠っている。頭を抱えながら悠子はつぶやく。

「もう限界・・・」

ようやく悠子が動いたのは、義母に異変が生じてから半年が経過した頃だった。インターネットで調べ、横浜の社会福祉士事務所が運営している電話相談サービス『お困りごとホットライン』を見つけて電話をしたのだ。

この半年間のことを思い出すままに話す。電話の向こう側のあいづちが妙に心地よかった。気づけば30分近くもの間、つらい思いを吐き出していた。状況を聴いた相手がゆっくりと口を開く。

「感じたままを言わせていただきますね」

悠子は頬をつたう涙を拭いながら、相手の次の言葉を待った。

「本当に大変な半年でしたね。さぞ、おつらかったでしょう」

堪えていた感情が一気に爆発した。涙が洪水のようにあふれ、悠子は声をあげながら号泣した。ひとしきり泣いた後、悠子は言った。

「なんか・・・。申し訳ありません」
「いいえ。もっともなことだと思います。半年も耐えてこられたのですからね。正直、私には信じられません。そもそも、要介護3で、ご自宅でお相手をされていたとは、実際問題として無理だと思います。ご家族が潰れてしまいます」

重厚感のある低音が心地よかった。

「できれば、もっと早い段階でお電話いただけたら良かったと思います。でも過ぎたことを言っていても仕方ないですからね。これからのことをお話したいのですが」

少しだけ冷静さを取り戻して、悠子が訊いた。

「この先、どうなるんでしょうか?」
「あなたはどうなったらいいと思われますか? 一切の制約を取っ払って、本当のお気持ちをおっしゃってみてください」
「・・・」

「おつらいのはよくわかります。でも、せっかく勇気を出してお電話下さったのに、本音を言ってくださらないと、最善の手が打てないのです。ご理解いただけますよね?」
「・・・はい・・・」
「あなたはおそらくとても優しい方だから、これまで曲がりなりにもお世話になってきた義理のお母さまに対して、気を遣われてしまうのでしょうね、私がが察するに」
「・・・」

「どう言葉にしていいか迷ってらっしゃるようなので、私のほうから提案をさせていただいてもよろしいでしょうか」

悠子は救われたような気がした。

「あっ、是非、お願いします」
「はっきり言わせていただきますが…、もう限界なのではないでしょうか。あなたまで潰れてしまいます。いや、もしかすると、もう潰れかけているのではありませんか?」
「・・・」

「いいですよ。黙って私の話を聴いていてください。もしもご自分の気持ちと反するようなことを私が言った場合だけ、そうおっしゃってくださいね」
「はい」
「お母さまは入院させるべきだと思います。要介護度の問題というよりも、排泄が自立でできなくなったら在宅は無理。問題行動が出たら在宅では無理。これが私の持論なのです。下手に辛抱しつづけると、お母さまだけでなく、あなたもご主人もお子さんたちも、家族みんながおかしくなってしまいます。そして、すでにあなたの場合は、もう限界も限界、切羽詰ったところまで追い込まれているように思えてなりません。私があなたの立場だったとしたら、ちゅうちょなくお母さまを入院させます。そして、自分の生活と心身の状態を立て直します。そうしながら、お母さまのこれから、つまり、施設を探すとかですね、それを家族で話し合います」             「・・・」

「ここまでの話を聞かれて、どうお感じになりますか?」
「はい。そうできることなら・・・。そうできれば助かると思います」
「ありがとうございます。ひとつ教えてほしいのですが、公立病院の精神科に外来受診されたということですが、例えば入院の可能性とかについて、お医者さんとお話をされたことがありますか?」
「いいえ、ありません。いつも母がぴったりと横にへばりついているので、お医者さんとふたりだけで話すということがなかなかムズカしいんです」
「そうでしたか。相談しようにもできない状況だったのですね・・・。もしかすると、お医者さんも、ご家族の困り具合を理解できていないかもしれませんね。差し支えなければ、私どもでは、ご本人やご家族に同行して、病医院で代わりにお話させていただいたりもしているんですよ。最近は、親御さんの認知症問題の相談がとても増えているんです。よろしければ、一度、御主人と相談されてみてはどうでしょうか?」

果たして夫は、聞く耳を持ってくれるだろうか・・・。悠子はそんな不安を感じつつも、前に進まなければと、頭に浮かんだ夫の顔をかき消した。

「入院・・・できるでしょうか?」
「はい、できます。ご本人の同意がなかったとしても、ご家族の生活に重大な支障が出ている場合には保護入院というのがありましてね。直系のご家族、つまり、ご主人ということになりますが、その同意さえあれば入院させることができます。そのあたりの病院側との折衝を、私どもが代行することも可能です」

相手の話を聞きながら、かすかにではあるが、悠子は暗い雲の間から、ひとすじの光が射してくるような感覚を覚えていた。

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