合理性だけで判断しない。
私、車にカーナビをつけてないんですね。
過去にはつけていたこともあったのですが、旅先でカーナビを信じて走っていたらとんでもない山奥に連れていかれて遭難しかけました。
それ以来、カーナビを信じなくなったというか、参考にする程度がいいんだなと学びました。
なので、今は知らない場所に行く時は自分で事前に調べるようにしてます。
でも、このほうがしっかり頭に入るし、ドライブが楽しめるようになりました。
これからAIが進化していくと、様々なことを人間が判断しなくてもAIが判断してくれるようになるでしょう。
例えば、この案件は過去のデータから見てA案が成功確率80%だからA案ですすめようとか。
でも、A案はつまらない、悲しむ人が増えるとか、B案のほうが面白い、みんながハッピーになるとかあるじゃないですか。
その判断をするのが人間の仕事だと思ってます。
私たちは毎日が判断の連続です。
それこそ今日のランチ選びも判断ですよね。
その時にカロリーと価格だけでメニューを選ぶのはつまらない。
データや数字で合理的に判断しましょうというのは、「ごもっともな話」です。
でも、その「ごもっともな判断」は誰もがする判断でもあるわけで、それが進めばすべてが同質化しくような気がしてます。
なにより、つまらい。ワクワクしない。
おそらく多くの社会人は「ここは大人になろう」なんて飲みこんでることがあると思う。
人はどこかで合理的に判断をしたくないって気持ちがあるんだと思う。感情の生き物だから。
「迷ったらワイルドなほうを選ぶ」とか「難しいほうを選ぶ」って言う人もいますし、私もどちらかというとそちらの意見に賛成ですが、チャレンジと無謀は違う。とは言え、仕事を楽しめない人生は寂しい。
起業家も後継者も経済合理性だけを考えるとわりに合わないことのほうが圧倒的に多い。
じゃ、なんで続けるのかというと、結局のところこうなります。
「できるかできんかわかんねぇけど、俺はやりてぇよ!」(本田宗一郎)