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感じるタイ語🇹🇭#56 「耽溺する」

日常的な人間の行為には、耽溺することで思考を止めてしまっている習慣がそこかしこに潜んでいるな、

ってなんかオオゴトっぽい感じのことが
これまたヒュッて降りてきてですね。
いや、実際は、うわ!あんな場面もこんな場面も人間のこんな心理が動いているんじゃん!という発見をしただけなんですけどね。

それで「耽溺する」ってタイ語で何て言うんだろう、とフッと脳内スキャンをしたら(思考を使って考えるというより、日本語の「耽溺」という語の指すポイントを感じながら、モードをタイ語にスライドさせてそこに何の語があるか確認する)、(ってただの言語学習ネタちょうだったのにどんどん怪しさを帯びていく最近のウツァラボ!)

หลงไหล (long-lai) ロンg-ライ

が転がっていました。
みんな待って!これまだGoogleでエビデンス(Googleさん見解の対訳)拾ってない状態だから!

まず、หลง なんですけど、これって、「迷子になる、道に迷う」みたいな意味です。普通に

หลงทาง (long-thaang) ロンg-ターンg 「道に迷う」

です。
で、ไหล ですが、こちらは「流れる、流れ落ちる」みたいな意味なんですよね。

「迷って」+「流される、流れ落ちる」って、むっちゃ「耽溺」って感じしませんか?!

で、ちゃんとググりましたよ。そしたら

「情熱的」

ですって。ぜっっっっっっっっったい違う。(ガイジンなのに他人の言語を勝手に解釈!)確かに周りが見えなくなるくらい何かに没頭する、を「情熱的」と捉えることはできなくもないかも知れんけど、「情熱的」ってどっちかって言うと、ニュートラル〜ポジティブ寄りのワード、かつ自制できない、というニュアンスが含まれてないんよ。

と思って、タイ語ネイティブの娘に聞いたら

「憧れる」

って言われましたwww
ぜっっっっっっっったい違う!(ガイジンなのに他人の言語を勝手に解釈!再)いや!確かに思い焦がれる、そこには自制できない部分もあるけど「耽溺」ほど身動きが取れない感じがないのよ!!!

と思ってGoogleを深掘りしたら、หลงไหลの補足としてこんなワードが。

คลั้งไคล้ (khlang-khlai) 「取り憑かれる」!

そおおおおおおおおおう!!!!「耽溺」ってこれくらい自分でどうにかできなくて、身動きが取れない感じがあるのよーーーーー!英語だとAddictとも所在地が似ている。

更に今日思いついてググったところ

หลงไหล (long-lai) 「執着する」!!
...ไปกับมัน で「(มัน=それ)に執着する」

そうそうそうーーーー!「執着」も所在地、質感、似てます!!!

だから「耽溺する」に私は時々หลงไหลを使うこともあるだろうな、辞書にはないけど。みなさんもどうぞหลงไหลの訳語に「耽溺」採用ご検討ください♪

ということで、Addictから引いたタイ語が全然お門違いだったりしたこともあってこの記事↓を書きました💢😂

タイ人の言語化プロセス、特に外国語の対訳におけるそれ、概念の所在地に向けるレーザーの精度甘すぎないか?という場面が、日常でも結構多く感じていて。

ただ、両言語を股にかけている娘のหลงไหลから「憧れる」の所在地を感知していくルートについても、私の中でも開拓していってみるつもり。他者理解って、理解できない、に対峙したところから始まるな、という感じもする。

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Utsa Labo✴︎ウツァラボ
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