(INFPは特に)内なるもやもやを秘めている人は、熱く語るだけでも満足度が上がる
自分が特に、よく言われるINFPらしいなっていうところは、外にはあまり出さない情熱だと思う。これまでは外に出せなさすぎて心の調子を大幅に崩してしまっていて、この内なる情熱にやっかみを感じていたが、最近は周りの人や、このnoteの記事で内面の情熱を表現できる機会が増えてきたので、この情熱に自分の中で価値を見いだせたような気がしている。
INFPといえば、適職が小説家や芸術家であることだろう。「実用性の高い仕事はできないよ」と言われた気分である。実際は経験や訓練によって、社会の中で重要な仕事を担うことができると思う。とはいえ、クリエイティビティという価値発揮まで持っていくことが大変難しい長所を持っているのは確かだ。
他にも理想像がちゃんとあったり、熱意が高い性格タイプも多くあるのだが、INFPの場合は、人と話さない時間が長く、さらに一人で考え続けるので、その情熱がいい方向にも悪い方向にも熟成されがちである。いい方向に熟成が上手く行けば、他人に真似できない領域に行く、ということだろう。
ただ、定期的にその情熱をどこかに吐き出す機会がないと、だんだんとひたすら悪い方向に熟成されやすいのではないだろうか。また、何らかの原因により、情熱を吐き出す働きを自分でシャットアウトしてしまうと、内側にひたすらたまり続け、頭がパンクしたようにどす黒いものが頭の中に生まれてしまうのだと思う。
私の場合も、体調を崩す前までは、忙しい仕事に果敢に取り組んでおり、「金がほしい」+「今の仕事で良くしてもらっている人たちのためにもっとがんばりたい」が過剰に働き、仕事では効率のみを重視、(ISTJみたいになってたかも)家には寝に帰るだけ、情熱を表現したり吐き出す機会は全くなくなっていた。
こうして体力が削がれてしまったり、前向きなことを何も考えられなくなってしまうと、余計に情熱を表現したり、吐き出すことはできなくなってしまう。情熱なんて浮かんでこないし、何かを作り上げる意欲もゼロである。
いろいろあって、外からは豆腐メンタルにしか見えない(本当はいろいろ違う気もしますが)INFPは、精神疾患にかかってしまったり、そこまでいかなくても、疲れ切っていることは多いのではなかろうか。そういう場合には、とにかくまずは体を楽にすること。心が死んでしまったので、体にも悪影響が出てしまっている状態なので、身体の悪影響を改善して、心に更に負担をかけないことにひたすら集中することが大事かと思う。
最近私は、ようやく心の情熱を再確認できるくらい戻ってきたので、というか、また見つけ直すことができたので、その情熱を大事にしていきたいと思う。
このもやもやが溜まってしまった状態では、自分が本当に大事に思っている価値観や情熱は、他のもやもやに埋もれて自分からも見えなくなってしまう。まずはできる限り、少しずつ、どんどん言語化するなり、絵を描くなり、芸術作品のような形で吐き出すのが大事だと思う。作品と呼べるか怪しいレベルでも、吐き出すだけでかなり変わってくる。それを繰り返していくうちに、段々と大事なものが顔を出していく。私はそこまで来たので、あとは少しずつ情熱の栄養を補給しながら、情熱や価値観を育てていきたい。
作品として出来上がらなくても、クオリティが低くても全然問題ない。食っていく必要もない。自分にとってはなによりの財産だし、noteみたいなみんなの思いがありふれた空間で、ちょっとばかし不思議な輝きを放つかも知れない。ちょっとでも人の目に触れたらなお素晴らしいことであるが、触れなくてもいい。でも吐き出すのが大事である。
こうした作業は、最近マイブームの焚き火に似ている。(マイブームと言っても、ヒロシのソロキャンプ番組を見るだけだが…)山の茂みの中から、情熱の火を灯すために必要な木々を集め、湿気ている気は乾燥させたり、燃えにくいところを排除しながら火種を準備する。小さな火種をつけられたら、いきなり大きい木ではなく、少しずつ薪を大きくしていく。ちょっとの火種でも、ちゃんと火をつけて、吐き出すことで薪を少しずつくべていくことが大事である。
INFPは芸術家、というよりは、内なる情熱が人生の燃料な人たちなのである。自分の豊かな生活ではなく、情熱を持てる事柄に対して、豊かに生きる事が必要である。自分なんて芸術の才がない、と思っていても、ある意味逃れられない。ライバルが多い音楽が好きな私でも、もうやるしか無い。それに、情熱的になれるものは一つではないのである。世界を旅して、魅力的なものを探していき、できることを取り組んでいくことも重要である。(旅行しろ、という意味ではない。趣味や仕事の開拓である。)仕事選びも、好きなもの、大事な価値観を重要視することが何より重要ではないかと思われる。好きに慣れそうなものでも良いかも知れない。自分のこだわりの働きかた、最適な働き方を見つけないといけないかも知れない。わがままな自分に付き合っていくのも大変嫌になるが、これはもう付き合っていく使命であると思う。自分にとって、よい方向を導き示す、自分だけの教師、あるいは上司になるしかなさそうである。
これも毎度おなじみの、私もできていないので自分に言い聞かせたい内容である。