毎週土曜夕方アップ、翌日曜20時からYou Tubeライブ配信!「同年代の仕事、プライベートは?」「定年退職で終わりではない。働き方を深めたい」「サラリーマンとそれ以外働き方の価値観の違い共有したい。」「定年してセカンドキャリアスタートした、新たな目標に挑戦したい」など本音で!
両親が私の自宅から自転車で10分程度の介護付き老人ホームに引っ越してもうすぐ10ヶ月になる。それ以前3年住んだサ高住への不満が募っており、父の認知症発症をきっかけに “終の棲家” となるであろうホームへ移ったのだ。 引越しに纏わるエピソードを書き留めたのがこちら。 入居前のヒアリングでケアマネージャーが母をいたく感激させる言葉を語られた。「入居される方にいかに穏やかにゆったりと生活して頂けるか、私たちはそれだけを考えています。」 サ高住の生活で失望・イライラを感じることの多
キャリアオーナーシップ(CO=自身のライフキャリア “仕事含めた生き方全般” に主体的に向き合う姿勢や行動)は今富士通で最も良く使われる言葉の一つだ。何せ私の所属部署はキャリオーナーシップ支援部と言い、従業員がCOを持った働き方生き方が出来るよう様々な制度や仕組み、施策を企画し実行することをミッションとした部隊なのだ。この部に来て1年が経ち沢山の人の話を聴きライフキャリアを垣間見て来た。一人ひとり見るとまだ少数派かも知れないが、COも少しずつ浸透していることを感じる。というか
大晦日にだけ感じる特別な解放感が好きだ。何となくこの日だけは “どんな自分も許される感” を感じる。午後から葉加瀬太郎さんの武道館コンサート『THE SHOW TIME』(楽しかった!これバブル世代にとってもオススメ!)なんぞに行ってしまったこともあり、結局1年掛けても綺麗になることのなかったクローゼットや小さな仕事机・・まぁそれも仕方なし・・年明けに新たな気持ちでゆっくり整理しよ~!くらいのノリでダメダメな自分を許しつつ夜は更けていく。 双子娘も18歳になり過ごし方も思い思
今年2月初めの金曜夜、母から少し慌てた様子で電話があった。丁度仕事が終わった位の時間だった。「パパが転んじゃって大変だからすぐ来て、すぐ!」電話は時々掛かってくるがこういった切羽詰まった感じはこれまでなく、それ以上話も出来そうになかったので、言われた通り直ぐ向かった。 父と母は東京郊外、私の自宅からは1時間ちょっとくらいの所にある「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」に住んでいる。10年程前に私も結婚前まで住んでいた実家を手放し、暫く駅近の静かな賃貸マンションに住んだ後、食
4月1日付けで異動し、会社員としての業務内容が変わることになった。 その名も “キャリアコーディネーター” という。「担当する組織の状況を把握しながら、個々人のキャリアに関する課題に働きかけたり、組織のキャリアオーナーシップ浸透のお手伝いをしたり、様々な専門家と連携しこれからのキャリア形成や働き方を一緒に見つけていく」そんな役割。 富士通が今、人事施策として力を大きく入れていることの一つがキャリアオーナーシップで、2022年度のアワードではイノベーション賞なるものも獲得してい
ヤツの動き、当初は他人事のようにニュースを見ていたが、気付けば日々感染者が拡大し、これはヤバい!これまで体験したことの無い “何か” だ・・と。関連会社からも開催依頼が増え、2020年前半に予定していた服育セミナーも多数あったがそれらは一旦全て見送り、「様子を見て秋頃ですかね~」 なんて話をしていた。その後3年続くとは思いもせず。。あぁ、鹿児島でセミナーしたかった。。 人が集まることが大きなリスクとなり、このままでは活動が完全に止まると思った私は、暖めてきた動画チャンネル『
セミナーで全国を回るのは楽しかった。参加者は4~50人の時もあれば10人の時もあり、その後の販売会でも人が集まらず売れない時は1~2着・・なんてこともあって、オンワードの営業さんには悪い気持ちもあったが、当初の「日本のビジネスシーンにスーツの文化を作る」という熱い志で、活動を続けた。 そんな時、社内の知人女性から紹介を受け、働き方改革WGを推進するメンバーと繋がることが出来た。元気な営業本部の活動で、その名もCCC(トリプルシー) 当時2018年は富士通の中で働き方改革が
初回セミナーに向けた準備は着々と進められた。進められた・・と言っても、当時私は部長職ながら部下無し状態だったので、社内のことはほぼ一人で進めたのだが。。 ✓赤峰先生に対する富士通の状況や新人研修の内容インプット ✓併せて、社員の雰囲気を見て頂くための社内見学アテンド ✓セミナー会場となる研修センターの装飾決めやその設営段取り ✓集客のための社内協力要請
やりたかったWEBマガジン発刊、そしてAPPEARANCE(外見)に関する情報発信はゆるゆるながら継続していた。たまに会う営業時代の同僚からも「なかなか他に無いオモロイ記事だな」とか「楽しく見てますよ~♡」なんて言葉を掛けられることもあり、それなりに手応えはあった。ただ、もう少しリアルに、ダイレクトに伝えることは出来ないものか・・そんな思いは常に持っていた。 1年が過ぎた2017年の夏頃だっただろうか、当時蒲田にあった研修センターの移転話が持ち上がった。幾つかの候補地を見学
営業人材開発部に異動し何か面白いコト、いや何かではなくイメージコンサルティングを絡めた新しい楽しいコトをやってやるぞ~!と思っていた私。 そんな私が始めたコトの一つが、全く社内サイトっぽく無いWEBマガジンの創刊だった。 どうもそれまでの人材開発関連サイトは、情報量がやたら多く内容も堅く、中々読み進めようと思われないモノばかりというのが私の認識で、恐らく多くの営業が同じように感じていたはず。これじゃ欲しい情報にたどり着くのも難しかろう。。そこで、ちょっと役立つ情報を柔らかい表
2013年は長い会社員生活、営業経験の中でも、非常にストレスフルな1年だった。当時私は総合商社各社に対する新規ビジネス開拓をミッションに活動し、難しさを感じながらも充実した日々を送っていたのだが、同じ部署で担当していた別業種のお客様で進んでいた大きなプロジェクトが難航し、現場マネージャーとして入ることになったのだ。受けたからには、何とか上手いことやってやろうという気持ちで初訪問、まずは一通り軽く挨拶くらいと思っていたが、いきなり現地で見積りに関する難解な資料を作成することに。
晴れて?“国際イメージコンサルタント“ と名乗る様になったアタクシ。^_^;実態はサラリーマンが99%なのだが、1%に身を置いている時間が楽しい。パーソナルカラーの講座に復習参加し、色々な方の診断をさせて貰ったり、当時の師匠のサポートで政治家やエグゼクティブのコンサルティングを手伝ったり、はたまた仲間と一緒に新しいサービスを企画(妄想?)したりと。いつもよりちょっとだけ華やかな装いで、華やかな人達と過ごす空間は自分にとって凄く居心地の良いものだった。また、コンサルタントとして
Association of Image Consultants International(略称:AICI) 国際イメージコンサルタント協会という団体があるという。世界最大規模のイメージコンサルタントネットワークで、東京にも支部があるのだという。聞いたことねぇなぁ。。イメージコンサルタント自体を知らなかったのだから当たり前か。。コンサルタントとしてしっかりやっていくつもりなら、そこに所属し、協会の認定を受けるべきだという。ほう・・そうなのか。。 調べていくと、サイトの中
副業という言葉にまだネガティブな響きがあり、パラレルキャリアなんて聞いたことも無かった2007年、それまで典型的な会社員であった私は、現在の活動に繋がる新たなキャリアの入り口に立つことになった。 妻が読んでいた主婦向けのファッション誌にイメージコンサルタントとして起業した女性の特集記事が。。ん? “イメージコンサルタント” って?と読み進める内に、これって俺がやりたかったことでは!?と、ある種の衝撃に見舞われたのだ。 バブル期の終わり、決して熱心とは言えない就職活動を経て