モンレアーレ大聖堂
Duomo di Monreale
9世紀から11世紀にかけてイタリア南部のシチリア島はアラブ人に支配されていた。
12世紀末にフランス北部からノルマン人たちが南下して、島を占領してから、シチリア島の主都パレルモ(Parelmo)近郊のモンレアル(Monreale)に、アラブ文化と東方ビザンチン文化の影響を受けたアラブ・ビザンチン・ノルマン様式の大聖堂が築かれた。
着工から95年後の1267年、フランスのアンジュー家シャルル王の治政下に「降誕の聖母マリア(Natività della Beata Vergine Maria)」に奉献した「サンタ・マリア・ヌオーヴァ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria Nuova=モンレアーレ大聖堂)」が完成した。
「モンレアーレ大聖堂」は、近隣の「チェファル(Cefalu)大聖堂」などと共に2015年、「アラブ-ノルマン様式のパレルモおよびチェファルとモンレアーレの大聖堂(Palermo arabo-normanna e le cattedrali di Cefalù e Monreale)」としてユネスコの世界遺産に登録されている。
伝説によれば、現在大聖堂が立つモンレアーレ(王の森)で仮眠していた12世紀後半のシシリア王「グリエルモ2世善良公(Guglielmo II il Buono "ウィレルムス"とも)」の夢の中に聖母が現れ、この地に埋蔵されている財宝で神の家を建てることを促がしたという。
この地で財宝を掘り当てた王は、その財宝で大聖堂を建設したという伝説がある。
財宝の発掘が真実であるかのように大聖堂の内観は金色のモザイクで黄金に輝いている。
内観は、教会の内部は人間の心を表すということから、ビザンチン様式の金色を基盤にしたモザイクで飾られた。
大聖堂の主祭壇の後ろ側、後陣には、聖人たちに囲まれた聖母マリア、その上部の半天蓋に「パンクラトール(全能の神)のキリスト(Il Cristo Pantocratore)」がモザイクで描かれている。
モザイクの大部分は、12世紀から13世紀半ばにかけてビザンチンの職人によって制作された。
後陣の中央には聖母子像、その左右に大天使、聖ガブリエルと聖ミカエル、その両脇に聖ペトロ、聖パウロの肖像が描かれている。
身廊と両脇の側廊を分ける側壁の上部には、旧約聖書と新約聖書からの場面、側壁を支えるアーチの内部には聖人たちが描かれている。
中央身廊上部に旧約聖書の始まりの部分として、アダムの肋骨からイヴの誕生が描かれている。
2つの重々しい塔に挟まれた大聖堂のファサード(正面部)。
中央部の入り口部分は、中部イタリア・トスカーナ地方の教会建築の影響を受け、多色大理石で3つのアーチが築かれている。
本来、外見の美しさは、人々の注意を引くということから大聖堂の外観も豪壮に飾られた。
大聖堂に隣接して12世紀末に築かれたベネディクト会の修道院の回廊が残っている。
一辺が47メートルの正方形の回廊は、二重の列柱に囲まれている。
回廊の二重の列柱は、アラベスク風にモザイクで装飾されたものもあれば、彫刻を施された柱もある。
幾何学的なアラベスク模様は、アラブ文化の遺香ともいえる。
装飾模様に囲まれた人類の祖、罪を知ったアダムとイヴだろうか?
回廊の列柱の頭部には、新約聖書と旧約聖書の場面が掘られている。聖家族のエジプト逃避の場面も。