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裁判官たちの収穫祭「ジュラド」(後編)

─ フランス・サンテミリオン地域 ─

記念日のミサの後、近くの旧枢機卿館の広場で、新しいジュラドの就任式、新しい理事、名誉大使の任命式、世界にサンテミリオン・ワインのプロモーション、情報発信などをしている名誉大使、名誉理事などの表彰式が開催された。

今年はボルドー司教区のアントワーヌ・ラリヨン(Antoine Rallion)司祭も、日ごろのサンテミリオン・ワインへの貢献を評価され新しい理事に選ばれた。
任命式の後は、セレモニー参加者全員でランチ前のスタンディング・パーティ。
サンテミリオンの発泡ワイン、クレマン・ド・コルデイエーレ(Crement de Cordeliere)を飲みながら昼食前の歓談を楽しんだ。

アントワーヌ・ラリヨン司祭

旧枢機卿館広場からランチ会場のドメニコ会の修道院を改装した会場までジュラドたちが行進し、会場の前で二手に分かれ整列して、招待客たちがその中央を歩いて会場へ。
タピ・ルージュ(tapis rouge:レッド・カーペット)ならぬアビ(Habit:服)・ルージュのウエルカム・ロードの粋な計らいだ。

会場は旧ドメニコ会の修道院の会堂を改造した歴史あるホール。裏庭にも特設の会場が設けられ、総計600人の招待客の大ランチ・パーティが始まった。
アミューズ・ド・ブッシュから始まる本格的フレンチ料理のコース・メニュー。メインの後にチーズのチョイス、デザートもありのフル・コース。ワインの名産地のパーティとはいえ、ランチに10人テーブルに12本の赤ワイン。
さらに各テーブルに食後酒1本。ランチ前のセレモニーのパーティの発泡ワインから何と約6時間、飲み続けた。

ほとんどの人が酔っぱらうこともなく、18時からのジュラドの今年のぶどうの収穫、収穫開始宣言の会場である中世の城郭の塔まで再度のパレード。
さすがワイナリーのオーナーたちだけあって、アルコールでは足を取られることもなくシッカリした足取り。
数々のワイン・ショップが軒を並べる旧市街を通リ、知り合いたちにご挨拶しながらの社交辞令も忘れない。
市内にはワイナリーのフランチャイズ店、セレクト・ショップが立ち並び、日本未輸入のワインなども多くあり、ショップを訪れるだけでワイン愛好家は時の経つのも忘れることだろう。

丘をのぼり、塔までの階段を上り降りしながら、ジュラドの宣言が始まった。
2022年のぶどうは地球温暖化の影響もあり、ぶどうの成長が早く、雨も少なかったこともあり、ぶどうの粒が小粒になったが十分期待できる、とか。
年々1日、2日、収穫開始時期が早まり、今年は9月20日頃から収穫開始との宣言があった。


聖人録

聖ヴァレリー

Valery de Leuconay(英語:Walaric)

ヴァレリーは、550年ころフランス中央部のオーベルニュ地方で生まれた。
幼いころから信仰に生き、聖人伝を読み、敬虔な少年時代を送っていた。
父の飼う羊の群れを追う牧人であったために、教育を受けることができなかったが、親戚が援助し、ヴァレリーに教育の機会を与えた。
叔父が修道士であったことから、ヴァレリーは父の反対を押し切って修道士となり、オーセル(Auxerre)で厳格な修道院生活を送った。
ヴァレリーの聖性と、治療師として名声が高まったために自らオーセルを去り、アイルランド出身で当時カリスマ的な修道士であった聖コロンバンがいるルクスィユ(Luxeuil)の修道院を訪れ、師事した。
聖コロンバンがメロビング王朝の王と王妃に厭われ、ルクスィユを去り北イタリアへ移った後、ヴァレリーが修道院を切り盛りした。
後に、ここからフランス北西部の布教に行き、北海に臨む岬に庵を設け隠修生活を送り、そこで622年に帰天した。
今日もフランス北西部ノルマンディ地方、ピカルディ地方で崇敬を受けている聖人。
サンテミリオンの教区教会の聖像は、16世紀のサンテミリオン地域の農具を持ち、農作業服を着ている。
サンテミリオンのぶどう農家の守護聖人。
記念日は12月12日。


聖エミリオン

Emilion de Combes

エミリオンは、8世紀初頭頃にフランス北西部ブルターニュ地方のヴァンヌ(Vanne)の近くで生まれ、ヴァンヌ伯爵の執事として仕えていたとされる。
伯爵家からパンを持ち出し貧者に与えていた。ある日持ち出したパンをマントの中に隠していたのを伯爵に咎められたが、マントを開くとパンは木片に変わっていたという奇跡が伝えられている。
ジロンド河の河口から遠くないソジョン(Saujon)で修道士となり、8世紀半ば頃、サンテミリオンの岩窟を掘り隠修生活を送っていた。聖人はサンテミリオンから北へ約2キロメートルほどのコンブ(Combes)に庵を作り、そこで帰天したとされている。
そのために「コンブの聖エミリオン」と呼ばれている。12世紀頃、ここから約50キロメートル離れたオーブテールの子爵が、聖人が隠棲生活を送っていた近くの岩盤を掘り、岩窟教会とした。
岩盤の上の鐘楼も最初の塔がその頃に築かれた。その頃、スペイン北部のサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼が盛んになり、サンテミリオンには聖エミリオンの聖遺物があったことから、巡礼者たち目当てに岩窟教会を建立したらしい。現在、聖エミリオンが隠修生活を送ったといわれる岩窟は、教会となっている。

商人とワイン業者の守護聖人。 
767年11月16日 サンテミリオン近くのCombesで帰天。


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