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貧者に施しを与え、娘たちを救う

ドイツ、オーストリアなどのドイツ語圏の国の子どもたちは、12月6日の聖ニコラウスの記念日を待ちわびている。この日、聖ニコラウス(St Nicolaus)は従者クネヒト・ループレヒト(Knecht Ruprecht)と現れる。ループレヒトは、子どもたちに「祈り」ができるかを聞き、「できる」と言った子にはプレゼントを、「できない」と言った子には「おしおき」をする。

子どもが待つドイツのレストランに現れた聖ニコラウスとループレヒト

今日も、12月6日に、ドイツ、オーストリアでは従者ループレヒトを伴った聖ニコラウスが、幼稚園や学校、子どもが集まっているレストランなどに現れる。子どもたちにレープクーヘン(Lebkuchen=ジンジャーブレッド)、リンゴ、チョコ、クッキーなどをプレゼントする慣習が残っている。

イタリア南部バーリの旧市街の中心地立つ聖ニコラウス教会

聖ニコラウスは4世紀半ばにミュラ(Myra 現トルコ)の司教であったことから、ミュラの聖ニコラウスとも呼ばれていた。聖ニコラウスの聖遺物はミュラのあるアナトリア半島(現トルコ)が、イスラム勢力に征服される前の1087年にイタリアの商人によって南イタリアのバーリ(Bari)に移された。バーリに現存する聖ニコラウス教会は、約100年の歳月をかけて献堂された。

バーリの聖ニコラウス教会。特別ミサの司教団の入堂。

聖ニコラウスの記念日(12月6日)に、バーリの聖ニコラウス教会で特別ミサがある。2024年は、ジュゼッペ・サタリアーノ(Giuseppe Satriano)大司教の司式で特別ミサが執り行われた。

聖ニコラウス教会内観。主祭壇の上には12世紀半ばに築かれたチボリオ(石の天蓋)が
教会内に残る壁画や聖像。イエス磔刑画と共に聖ニコラウスの肖像画も
大聖堂の地下霊廟「クリプタ」に聖ニコラウスの聖遺物が顕示されている
記念日の特別ミサの後、旧市街を聖像を御輿にプロセッション(宗教行列)がある

聖人録

聖ニコラウス

St Nicolaus

聖ニコラウス像。15世紀末作 ブリュージュ  グルーニング美術館 所蔵

4世紀半ばのアナトリア半島ミュラ(現トルコ)の司教。資産家の息子として生まれたが、財産を貧しい人たちに分け与えた。聖人の生涯の詳細は知られていない。10世紀以降に東方正教会で初めてイコンに描かれ始めた。11世紀頃から船乗りや子供たちの守護聖人となり崇敬されるようになった。11世紀末にアナトリア半島がイスラム勢力に征服される前に聖ニコラウスの聖遺物はイタリア商人よりイタリア半島最南端の港湾都市バーリに移葬された。それ以来「バーリの聖ニコラウス」とも呼ばれ、広くヨーロッパ全土で崇敬されるようになった。

聖ニコラウスの祭壇画。輸送船、船乗りたちを守護
冤罪の三人の死刑囚を救った
金貨、銀貨を投げ入れ三人の娘の身売りから守った

聖ニコラウスは数々の奇跡を起こした。貧しい人、困っている人、水難事故から船乗りたちを救った話が多い。多くの貧者に施し、身売り寸前の貧しい家庭の娘たちを救ったことなどから、贈り物をする聖人に変わっていった。
聖ニコラウスはアルプス以北でも人気があり、オランダ語のシンテ・クラアスがアングロ・サクソン民族の新大陸移民と共に新大陸へ渡り、サンタクロースと呼ばれるようになった。もともとニューヨークもニューアムテルダムと呼ばれるほどオランダからの移民が多い町だった。
ニコラウスはラテン語、ドイツ語、ニコラはイタリア語、フランス語。英語語はニコラス。
子供、玩具職人、船乗り、水夫、冤罪の容疑者、商人、放送局、醸造家、薬剤師などなど多くの守護聖人。ギリシア、アルバニアなどの国家、バーリ、リバプール、モスクワ、アムステルダムなど都市の守護聖人にも。
11世紀末に聖遺物が移葬されたバーリでは、ミュラから聖遺物が到着したとされる5月7日から三日間、盛大な海上運行を伴う大祭事が催される。


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