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「ピカソはほんまに天才か」

 人生において一度くらいは「ピカソはほんまに天才か!?」と言うてみとうなるものだが、それは大抵若い頃に抱く反骨精神に言わされているようなもので、大人になったらピカソの偉大さは否定のしようがないことは嫌でも実感させられる。
 しかし小説家の開高健が「ピカソはほんまに天才か」(『ピカソはほんまに天才か』中公文庫 1991.6.10 に収録)というエッセイを書いたのは昭和59年5月の『藝術新潮』で、開高は既に53歳である。さらにたちが悪いのは開高はニューヨーク近代美術館に行って実物を見た感想なのである。

 これらの人びとの意見で小生は自身の実感を変えようと思う気持は毛頭なかったし、また変えられるものでもあるまい。これらの人びとがほんとうにピカソの画面から何か放射能を浴びせられておられたのなら、小生はただうらやましく感ずるか、自分の時代遅れの冷感症と感ずるか、いずれにしても一礼するだけである。ピカソの提唱と実作が彼の同時代の画家たちに深く訴求するところがあって時流を変えるまでにいたった過程そのものについては、いっぱし、わきまえているつもりだから、その時代と年齢の人にしか感知できない何かが彼の画面にあっただろうと思うことはできる。しかし、あちらこちらで肉眼視してきたそれらの作品のいくつかには、小生を感動させてくれた他の諸作家の諸作品に共通して漂う何かがことごとく欠けていたし、感知することができなかった。

『ピカソはほんまに天才か』p.248

 開高は自身と同じ意見を述べている者はいないかと探していたら、美術評論家のハーバート・リードが「ピカソでいいのはせいぜい青の時代までである」と一刀両断してくれていて一安心したと綴っている。
 開高は引用元を示していないので確認のしようがないのだが、ちょっと気になるのはリードは「ピカソでいいのは」と個人的な感想を書いていることで、もちろんピカソの作風が好きか嫌いかは個人の判断に委ねられるとしてもピカソが天才かどうかとなるとそれは後世の作家に多大な影響をもたらしたかどうかという客観的な判断に委ねられるべきだと思うのである。
 最後にピカソに人生を一変させられた日本人の文章を引用しておきたい。1980年にニューヨーク近代美術館で開催された最大規模のピカソ展を観に行った際の感想である。

 様式や主題が変化することは画家にとって致命的です。それがピカソにおいては全く当てはまらない。例えばキュビスムの傾向を踏襲している真っ最中に描かれた新しい恋人の肖像は三角定規の集まりのような破壊的な顔に描くのではなく、実に美しい写実画で描く。恋人へのピカソの愛の証しでしょう。このような自己の想いに忠実に描くピカソこそ真の芸術家だと悟ったぼくは、できればピカソのような絵を描くというのではなく、ピカソのように生きたいと決意したのでした。美術館に入る寸前までのぼくはグラフィックデザイナーでしたが美術館を出る時には画家になっていたのです。

『言葉を離れる』横尾忠則 講談社文庫 2020.12.15 p.124