見出し画像

コメント:同性婚について嘘偽りの無い話を(笑)

長くなるので、今回は記事として。以下の話へのコメントです。

まず同性婚についての考え/立ち位置を書いておきましょうかね。タイトルにもある通り「嘘偽りの無い」考えを書きますと「反対する理由が思いつかない」というのが正直なところで。
私の「理念」的なものは「個人の思想信条言論選択の自由を断固として尊重する」というものなので、個々人が誰と婚姻を結ぼうと結ぶまいと「どうでもいい。個人の自由だ」とある種突き放してしまうのが基本で。その結果として社会や国家が変容したとしても「社会とは常に変遷するものだ」と、これもまた突き放してしまうのが基本。若い人はなかなか実感を伴わないと思いますが、私が物心ついてからの半世紀の間ですら日本社会は壮絶な変容を遂げているわけで。良くなるのか悪くなるのか価値判断は保留しますが、社会というものは一時たりとも立ち止まったりはしないものなのですよ。変化することを恐れてはいけない。

同性婚に話を戻しますが、同性婚の問題は基本的に「財産権の問題」だと考えるのですよ。長年連れ添ったパートナーがいて、その相手とともに相応の財産を築き共有していたとしても、相方が亡くなれば現行の法律ではそれはパートナーに受け継がれるものではなく、亡くなった方の家族に権利が行く。異性婚であればたとえ遺言書があったとしてもパートナーには一定の権利が保証されるのに同性婚にはそれがない(婚姻と認められていないからなんですが)。これはどう考えても理不尽な話なので、この点については僅かに賛成の立場を取ります。「僅かに」という断りがつくのは、遺言書等で権利が認められれば「別に結婚せんでもええやん」とも考えるからで。結局は理不尽が許せない、というだけの主張ではあります。

逆の視点を持って見ると、「好いた相手と一緒になる」ことが婚姻であるなら、べつに同棲でも事実婚でもいいわけですよ。事実婚と同様に諸々の権利を保証する制度/法律を整えればいいわけで。なにも「必ず婚姻関係を結ばなければいけないわけではない」と思います。婚姻、という関係性に拘るなら「そもそも何故婚姻という関係が必要なのか」という疑問に答えを出さなければいけない。財産権の話を持ってきているのは、それが一番の理由です。

さて。
コメント欄なら二連投分になってしまいましたが(笑)。ここからがようやく本題で。同性婚の問題が突きつけているのは「婚姻とは何か。家族とは何か」という問いだと考えるのですよね。

同性婚を否定する論として子孫の再生産、早い話「子供が出来ない」ことを理由に上げている方がいます。白饅頭さんもそうですよね。ただ私はこの論理を突き詰めると、現状の一夫一婦制を基本とした家族の形態に疑義を呈することになると考えるのですよ。
第一には諸々の理由で子供が持てない夫婦に婚姻に伴う諸権利を保証することが妥当かどうか、という点があります。法の下の平等というものは合理的な理由に基づき諸権利を認める/認めない、とするものですから、子孫の再生産が婚姻の諸権利と結びつくなら、男女関係には子が無くとも認められ同性間には認められない、という状態は法の下の平等に明らかに反する。養子を迎えるなら同性婚であっても婚姻に基づく諸権利を認める、というのは妥当な落とし所だと賛同します。養子縁組は現状色々と条件が厳しいので、それを緩和することで「子無し夫婦」にも子育てのチャンスが与えられることは望ましい。ただですね…
子孫を再生産することが婚姻を社会的に認める理由であるなら、別に一夫一婦制でなくてもいいわけです。実際、アラブなど一夫多妻制が認められる地域では複数の「妻」が子供を交代でみて育児の負担を減らす、という行動があるわけです。「女性の社会進出」が叫ばれる昨今ですが、妊娠出産育児の負担を夫婦で分かち合う、という現状の理想は大きく軋みをあげているわけで(笑)。そもそも日本社会はもともと世代間同居大家族が基本だったわけで。夫婦で妊娠出産育児の負担を分担する、なんてことは不合理なわけですよ。とはいえ、もうその時代に戻りたいとは多くの人が考えないのが現実で。じゃあ何が望ましいかと考えるなら、アラブ方式かあるいは多夫多妻方式を取るのが実は合理的ではないか。
家族を「子孫を再生産するための装置」と捉えるなら、合理的な選択肢は色々とあるわけですよ。それを否定して一夫一婦制に拘るなら相応の理由が必要。
「一夫一婦制でなければ婚姻から零れ落ちた男女が社会にリソースを提供しなくなる」という主張もありますが、個人的には若干疑問で。江戸期の日本もかなりの男余り社会だったらしいですが、それが理由で倒幕が起きたわけでもないですしね。大塩平八郎の乱みたいな話も無い。そもそもの話、社会に対するリソースの提供とは子孫だけではないはずで。子孫も大事ですがインフラの提供維持、地域の安全保護、土地等の開拓etc…と色々とあるわけで。子供を産み育てる人達を支えるのも「社会にリソースを提供すること」ではないでしょうか。それを無視/軽視することこそが、社会の不安定にさせる要因ではないかと考えます。コロナ禍での「エッセンシャルワーカー」の叫びを忘れてはいけない…

長々と書いてしまいましたが、実のところ私も同性「婚」が何故必要なのか、という点は疑問で。財産権の問題が自分にとって一番わかりやすく理解しやすいからそれを理由にあげていますが、上にも書いた通りその点が法整備されるなら「同性なんだから同棲でええやん」と考えてしまうのが正直なところで。
流されるままに今に至っていますが、正直「世間様に認められる」以上の理由が結婚に見いだせないのが正直なところで。「結婚は勢いだ」とよく言われますし自分事としてもそうだったもので「婚姻を結ぶ理由/家族を作る理由」というものがよくわからないんですよね。同性婚の問題は自分にそれを突きつけてくるものなんですが、それは誰しもに、賛成反対の別なく問うものではないか、と思います。嘘つき、というのは言葉がキツイとは思いますが(苦笑)、賛成するにしろ反対するにしろ「婚姻とは何か/家族とは何か」を考えたほうが良いのではないか、とは思います…

と書きながら卓袱台を返しますが(笑)、それを考えてしまうと誰もが持っているであろう「素朴な結婚観/家族間」を大きく毀損するような気もします。用法用量を守って考えてください…(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?