見出し画像

諏訪大社

複雑怪奇な諏訪大社

学生の頃あんなに無関心だった歴史に、興味が湧き始めて数十年経つ。

『古事記』、『日本書紀』を本書として調べる楽しみが増えた。

ところが読み込むほどに、『古事記』と『日本書紀』の間の微妙な記述誤差が気になり始めた。まず『日本書紀』は日本人が書いたものではないと言う予感がする。漢文で表記されているのは、対外的に主張するためだとの解説もあるが、それならば『古事記』の翻訳で足りる。わざわざ、違う内容を書くのは、理解できない。

この類の歴史書は作成した王朝が、前王朝を否定し、自らを正当化するために書かれている。

秦の始皇帝は焚書坑儒を行い、事実関係がわからないようにした。またGHQが日本の書籍を大量に焼却して、日本が太平洋戦争に巻き込まれた事情を隠そうとしたことが明らかになった。

画像1

神社は各地に存在するが、訪問して初めて気づくことが多い。

諏訪大社を訪れた時は各地の神社とはちがった、異様な雰囲気を味わった。理由はわからなかったが、時間だけがすぎてゆく。

令和3年(『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』2017年発行)という書籍に出会って、目が覚めた。今まで『古事記』、『出雲風土記』などを参考に考えていた歴史観が大きく揺らいできた。

昭和7年になって、伊勢神宮の余材拝領の名の下もとに、由緒ある精進屋は、取り壊されてしまったのである。精進屋は、前宮の本殿という名にかわり、伊勢神宮もどきの千木を飾る神殿に作りかえられてしまったのである。(古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究 古部族研究会)

諏訪は、国譲りで出雲から追われた建御名方が何事もなく住み着いた場所だと考えていた。

建御名方は土著の洩矢民族と戦い主導権を取ったのだ。

こうして、いわば、土著洩矢民族と、出雲族の混合、融合、重層構造によって成立した諏訪神社信仰の諏訪王国は、つづいて南から追い上げてきた天孫族としての大和民族の侵入を受けるのである。大和民族(帰化人文化)は、こうして諏訪大祝体制の中にも入り込むことになり     (古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究 古部族研究会)

ここまで読んで、『古事記』を中心にした歴史の視点を大きく変える必要に迫られている。

長野に安曇族を忍ばせる安曇野があり、大分の安心院に甲斐を名乗る人たちがいるのが納得できる。

もう一度諏訪大社を訪ねてみようと思う。門前で売られていたせんべいが美味しかったことを思い出しながら。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?