宗教戦争
ガザ地区でまた紛争が起きている。
イスラム教とユダヤ教、二つの宗教の信者同士の争いと伝えられている。
しかし、本来それはあり得ない。
一神教の信者は争わないからだ。
いや、争えないのだ。争えば神に背くことになる。
一神教においては、この世の全て(相手の信じている神を含めて)を、神が創造したものであるから、何も争うことはない。
一神教の信者が他宗教の信者を攻撃するのは、相手に別の神がいることを認めた多神教の立場だ。
論理的に破綻している。
日本には宗教戦争がない。
絶対的な力を感じ、信じているからだ。
日本の宗教観は面白い、八百万の神という言葉が表すように、全てのものに神性を認めている。キリスト、マホメッド、釈迦等も八百万の神の一つと捉えている感がある。
だから、クリスマスを祝い、お寺で除夜の鐘を聞き、神社に初詣に行くことなどなんとも思わない。宗教的に違和感がないのだ。
なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる(西行)
この歌に共感する人が多いのは、経典や、聖書を超えたその向こうに絶対の力の存在を実感している日本人が多いということだ。
古い時代に、神道を祀る物部氏と仏教を押す蘇我氏が争ったとあるが、文献を読み込んでいくと宗教争いでなく、単なる勢力争いであった。それぞれが旗印として、神道、仏教を利用したにすぎない。
戦争とは、武器商人が製造販売している武器の在庫が増えて、貯蔵施設が一杯になった頃に、間違った宗教観を煽りたてて、在庫整理で行われている経済行為だと考えている。
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