複雑
『聖徳太子はいなかった』が最近の定説になっているが、なぜ最近まで居たことになっていたのだろう。
古事記と日本書紀が微妙に絡んで全くわからなくなって来た。
どこがわからないのかチェックして見る。
キーパーソンが持統天皇になりそうだ。
勝手に仮定を立てて、検証していく方法を取ってみよう。
古事記は日本語文体で書かれている。推古天皇まで。日本人が書いた。
日本書紀は漢文で書かれている。持統天皇まで。外国人が書いた。
有力な地方豪族の物部氏が天皇家と協力をして日本を形成しようとしていた。
蘇我氏が台頭して来て物部氏と力を合わせながら勢力の逆転を図った。律令制度を提案し領地を天皇に帰属させ再分配する方法を取り入れた。物部氏は所有する領地を天皇に差し出し没落していく。
律令制度が始まらんとした時に全ての領地が天皇に集約された時に、突然無位無冠の中臣氏が台頭してくる。出自も明らかでない。
中臣氏は持統天皇を支えるふりをして、絶対的権力を持っていた蘇我氏を滅ぼす計画を立てた。
中臣氏は実在しない聖徳太子像を作り上げ、その功績をたたえた。その聖徳太子を滅ぼしたという言いがかりをつけて、蘇我氏を滅ぼし、中臣氏は藤原姓を下賜された。
中臣氏は持統天皇を天照大御神に比定して伊勢神宮に祀ることにした。
近年、天照大御神が女性であると言われる原因がここにあるとすれば、この仮定は面白い。
時間をかけて検証していく楽しみができた。
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