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懺悔

許しの宗教と言われるキリスト教では告解という制度が有る。

イエズスは「そういいながら、かれらに息を吹きかけて“聖霊を受けなさい、あなたたちが罪をゆるす人には、その罪がゆるされ、あなたたちが罪をゆるさない人はゆるされないであろう”とおおせられた」
(ヨハネ20の22-23)

仏教にも懺悔という制度が有る

仏教において懺悔(さんげ)とは、自分の過去の罪悪を仏、菩薩、師の御前にて告白し、悔い改めること。 本来はサンスクリット語で「忍」の意味を持つ。 半月ごとに行われる布薩では地域の僧侶が犯した罪を告白し懺悔するほか、自恣という僧侶同士が互いに罪を告白しあう行事もあった。(wikipedia)

日本では、亡くなった人をと呼び、その魂をと崇める習わしが有る。死者を冒涜したり鞭打ったりすることはしない。

8月15日になるといつも思う。

合法的な戦争において戦った当事者が、勝者という立場で敗者を裁いたのが東京裁判だ。

随分と理不尽な理由で裁かれている。というよりリンチだ。

戦争後で冷静な判断ができなかったと善意に解釈しても、死をもって償った人々を戦犯と呼んで辱めることをやめにしたいと思う。

判決の主文は『死刑』だったはずだ。死をもって償った人々を永遠に辱めるなど、許しの宗教のキリスト教信徒の技とは思えない。

全ての刑罰は刑が執行されれば犯罪人ではなくなる。

死刑が執行された瞬間に犯罪人ではなくなったはずだ。



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