《浴槽、ブルーのハーモニー》の香りを妄想する
まだ数枚の作品を観たくらいだったころ、ボナールに対して抱いていたイメージは《太陽光を感じる明るい絵が多い》といったものだった。あまり明確な輪郭がなく色と色は溶け合い、眩しくて目を細めながら見ているような感覚を抱く絵たち。
妻をモデルに数多くの裸婦画を描いたことも知る。きっと満ち足りた人生だったのだろうと思っていた。
一方で私の中にはいつも『心が満たされていたならば、わざわざ絵など描くだろうか?』という思いがある。絵を描く、という行為は描かない者の傍目よりもずっと根気と気力と体力が要る。それでも画家というのは『描かずにはいられず』描くのだというから、そこには余程の衝動なり執念なりがあるのだろうと考えてしまうのだ。
ボナールに対してその考えが過ぎったのはある冬の日。郊外の美術館の、何度も観た風景画の前に立った時だった。展示室の角を曲がって目に飛び込んで来た鮮やかなオレンジ色と黄色。さほど大きくない画面に無数の筆の痕が重なり、それはあまりにも明るく、急に異様なもののように感じた。
ボナール自身に興味を持ったのはそこからだった気がする。
さてそれで、今回妄想する作品はこれ。
ピエール=ボナール作《浴槽、ブルーのハーモニー》
1917年頃 油彩 カンヴァス 45.8 x 55.1
ポーラ美術館 蔵
画面手前から明るい光が照らすバスルーム。
おそらくタイルであろう床には不規則な明暗/陰影が見て取れ、何となく自然光が差し込んでいるような雰囲気だ。画面右奥のカーテンのようなドレープのハイライトはピンクで彩られ、温かみを感じさせる。刻々とうつろう光や窓の外で揺れる枝葉、緑の匂いを含んだ風のざわめきが聞こえるような。実際に季節がいつなのかはっきりとはわからないが、個人的には春から初夏を感じる。タイトルの通り爽やかなブルーがその印象を形作っている。
女は取り立ててポーズを取るでもなく、体を洗う動作の途中を描かれている。気を赦していると言うより『気が緩んでいる』と言ってもいいくらいの無防備さ。このシーンがあくまで日常の一環である事をうかがわせる。
女はボナールの長年のパートナーで、最終的に妻となったマルトだ。大都会を離れ、この絵が描かれたヴェルノン(パリの西80kmほど)へ移住したのはマルトの転地療養の為だった。パリとは全く違う光の中での生活は画風に変化をもたらし、画家としてのボナールはより確固たる評価を得て行く。
この作品は1枚のモノクロ写真を元に描かれた幾つかの作品のうちのひとつだ。元の写真は全体的にソフトで明暗は比較的はっきり出たものになっている。[ヌードを撮らせる]ということをもしボナールが画家でなくとも赦していたかどうか分からないのだが、これを見る限り絵の中と同じく、マルトがカメラを気にしているようには見えない。
また写真が普及するより前の時代は『見たままを描きうつす』ことが絵画の大きな目的のひとつであり続けたが、この時代には写実を目的とせず『感じたものや感情を描き表す』こともまた、目的や表現としてスタンダードだったと言っていい。
基本的な構図は写真を参考にしつつ、目に映った光や色、気ままに動く体が生み出す一瞬一瞬の陰影を留めるように画面に反映させていると考えられ、マルトと過ごす時間の長さとその親密さが幾重にも浮かび上がる。
(写真の一部を加工)
彼女は気難しいというか謂わばエキセントリックなタイプで、人付き合いは苦手だったようだ。精神疾患も抱えていたと言われ、毎日長時間の入浴をするという当時にしてはかなり珍しい習慣もその一環だったらしい。
彼女を探す時、ボナールはまず浴室へ向かったかも知れない、と思った。
静かな浴室に響く水の音。雫が浴盤の外へと跳ねてキラリと光ったり、タイルの目地を伝って日陰へ流れて小さな水溜りを作ったり。肌と金属の擦れるかすかな音や、シャッターを切る音。肌の上を覆って流れる水の質感。光は体の上を少しずつ移動して行き、また新しい影が生まれる……。
ゆっくりと時間が流れる家で、ある日はしきりと何か話したかも知れない。ある日は顔を見合わせながらも静まり返っていたかも知れない。
マルトはとても主観的に生きていた人のように思える。彼女の世界には彼女の目線しか存在しないような。ボナールは30年以上本名を知らなかったらしい。付き合いが長くなってもどうも解らない。かと言って特に他意もなさそうに見える。翻弄される。
一方ボナールはパリの美術学校出身で早くから評価も得ていたし、人々との交流もそれなりにあった。マルトとの交際中には愛人を作りもした。
しかし住む場所がパリからヴェルノン、更にル・カネへと郊外へ移り変わり、日々の労力も情熱もあくまでマルトに注がれるようになると、その生活は世間から断絶気味になり、家はまるで二人だけの閉じた世界そのものになって行った。
ボナールはマルトより長く生き、晩年まで創作活動は旺盛なままだった。
”ミューズだった” という表現がなされることがある。
インスピレーション源であることを表すと同時に、何かと一筋縄で行かない厄介さや複雑さに囚われながらも愛している相手を、恋人とかビジネスとかで括れない時に持ち出される呼び方なのかも知れない、と思う。
ボナールが生涯に渡って描いたマルトもまたそう呼ばれることが少なくない。しかしその作品を改めて目にすると、絵の中にはやはり穏やかな親密さが漂っている。『もしこの数々の幸福そうな日常風景の大部分がボナールのフィクションであったとしたら?』と問いながら図録なども観たが、結局はボナールの描き表したものを信じたい気持ちが残った。
きっと満ち足りた人生だったのだ。
―そんな妄想と考察を踏まえて。
《浴槽、ブルーのハーモニー》で香水を作るなら
①トップは青色と水の印象。清潔で明るい。郊外の家庭で手作りされ、近隣だけで売っているようなハーブ入りの石鹸を思わせる香り。
軽やかなローズマリーとオレンジフラワーに少し青みのある瑞々しいローズ。
②ミドルは刻々と変わる光と、その中で長い時間を過ごす彼女の気配。間近でそれを見続ける画家の目。
春から初夏が旬のアプリコットとピーチをメインに。アイリスやアニスを裏打ち的に使って酸味やわずかな苦みを伴わせた香りは一気に広がり、果実の手触りまでを想起させる。その印象はそのまま女の肌へとフォーカスを移動させ、しっとりと温かみのあるアーモンドとソフトなムスクが体温のイメージを加える。
③ラストはマルトがボナールにもたらした大きな恵み、そして同時に呪縛めいたものも感じながら。
ミドルからのアイリスとムスクがミルキーに溶け合い、ピーチにはマテ茶が加わる。更にカソナードや麦がほろ苦くスモーキーなアクセントとなって、やわらかくも長い余韻を残す。
パッケージはやや縦長で、中央が膨らんだ無色の溝入りガラス。大きめのキャップは艶消しゴールドの球形、首にブルーのオーガンジーリボンが巻かれている。
液色は淡い蜂蜜色。
《BATHTUB -Blue harmony-》
Eau de Toilette
長い午後を映す パウダリック・フルーティの香り