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ルーブル展のタイトルに違和感を覚え、そこから色々捏ね回す

ヘッダーの画像はロココを代表する画家のひとり、フラゴナール《かんぬき》の一部分。
描かれているのはベッド&林檎の置かれたテーブルではあるものの、裸身の女性があられもなく仰向けになっている状態を匂わせるように描いたのだ、という見方もある。
これぞロココだと思ってしまう。

さて 《ルーヴル美術館展 愛を描く》が好評らしい。
タイトルといい絵のセレクトといい、観に行きやすいように巧く作ってあると思う。

一方で個人的には『「愛」ってどういうことよ』 とタイトルの真意を断続的に考え続けている。まあ、実際は真意も何も「キャッチーが勝ち」なんだろうけど、そういうところを捏ね回してこそのオタクだから仕方ない。

《ルーブル美術館展-欲望を描く- 》ではダメか

そりゃダメでしょうね。身も蓋もなさすぎるんでしょうね。
今回はターゲットを既存客以外にかなり強めに寄せて設定している気がするし、世相も暗いし、扱うのは普遍的なテーマだから表裏一体のどちらかを出すなら表なんでしょう。まあ、普通はそうなるか。“普通” ってやつが苦手だ。

【愛】と【欲】はどちらがどちらを包括するのか

サイトの展覧会構成をザッと見ると【欲は愛に含まれる】という基本方針ぽい。一方私は【愛は欲に含まれる】と考えるタイプだ。人間は生まれながらにして善か悪かの問答めいて来るけれど。
愛と欲望はもちろん混ざり合って厳密に選り分けられないものがほとんどだけれど、少なくとも何かを言い訳に自我を手放した(手放させた)状態を愛とは呼べないんだよな。

そういう意味ではズブズブ不倫の気配がする『かんぬき』や『スリッパ(部屋ばき)』より、『キモンとペロー』(投獄され飢え死にしそうな父を、娘が母乳を飲ませて助ける話)の方がよほどげんなりする。いやはやいくらなんでも。時代の倫理観を加味しても尚、気色悪すぎる。なんでわざわざこれ借りてきたかな。

キモンとペロー、表向きは教訓系テーマと言いつつ、当時は 特殊な需要(歳の差エロとか? 近親相姦マニアとか?)のために選ばれがち画題だった可能性も大いにあるなとは思う。
それならそれで、改めて欲望の大勝ちよ。

結局行かなかった が、あり得るぞ

あの展示を観る人々は、どの辺までなら愛でどの辺から「ただの我欲だろう」と感じるんだろうな。これは単純な興味だ。

事前情報だけで既にかなりコッテリで満腹気味。行くタイミングをつかめないでいる。 
美術史的には割と重要なラインナップなので観ておくべきだと思っているし『まなざすこと/まなざされること』についても考えられる、いいタイミングになりそうでもあるが。
会期はいつも長いようで短い。

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