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病人食を食べすぎた結果食事が大好きになった話

私の実家は青森で、姉、わたし、弟、父、母で五人家族でした。食事は主に母が作っていて、たまーに休日父が作ったり姉が作ったりしていました。私が作ったことは一度もないと思います。

同じメニューが2日続けて食卓に並ぶことはまず無かったし、今思うと「あれは母さんのオリジナル料理だったんだ」と思うものも多いです。(いずれレシピ出しますね。)

私は幼少期にネフローゼ症候群と言う病気にかかっておりまして、3歳〜15歳まで、何度も何度も入退院を繰り返していました。

入院している期間と言うのはもちろん病人食を食べるわけで、私は病気の都合上まーー味気ない、ほとんどなんの味もしない今思い出すと自分がかわいそうで抱きしめてあげたくなるような食事をし続けていました。

それでも幼い私は大人も嫌がって残してしまう病人食を美味しい美味しいと大喜びで完食していたようです。服用していた薬の影響で常にお腹が空いてる状態だったものですから、どんなものが出てくるとしても食事が楽しみなのは変わらなかった訳ですね。

病人食ですら美味しく食べてしまう私は、数ヶ月の入院から解放されて無事家で母のご飯を食べようもんならもう毎回ぶっとんでいたわけですね。家のご飯はどんだけうまいんだと。本当にあの瞬間が幸せで仕方なかったです。

とは言っても、当時はやっぱり「母さんの料理はすごいなあ!ありがたいなあ!」なんて言う気持ちは特に無かったように思います。ご飯は当たり前に出てくるものだと思っていたし、美味しいのも当たり前だと。無茶苦茶幸せなことなのにねえ。

自己紹介でも書きましたが、私の自炊欲のスタートは「母親の料理を食べたい」という思いからでした。「実家でどんなご飯出てたっけな〜」を毎回考えていました。今でもたまに考えます。母の食事をコピーしたものをまだ母に食べてもらったことがないので、諸々落ち着いたら実家に帰って食べてもらうのがここんとこの夢です。はよくたばれコロ助。

入院しまくりという事情が無かったらもしかしたらそれほど母の食事をありがたいと思わなかったかもしれないし、母の食事をありがたいと思わなかったら自分で料理なんてすることはなかったかもしれません。病気もいい経験だったということで自分は納得しています笑

ちなみに、やたら味気ない病人食もやたら長い期間食べていたせいか、私の思い出の味になっています。酢の物がやたら出ていたので、今でも酢の物を食べると妙な懐かしさがこみ上げてきます。良いも悪いも私の食を形成してる訳ですね。

だらだらと書き殴った挙句大したオチも結論もないですが、食事に関して発信するなら話したいなと思っていた内容だったので書かせていただきました。最後まで読んでくださりありがとうございます!

ではまた!




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