肉体の衰えは確かに精神の衰えと連関している。若かりし頃、肉が弾けんばかりに張り詰め、汗が玉になって滴り落ちていたあの頃、血と脂が炎を欲するように、彼の精神は竜巻のように廻転する刺激を欲していた。乏しい経験が創り出す小さな世界で発生する限られた数の現象に、無限の夢や幻が絡まって、拍動する魂は現実よりも確かな堅くて深い手応えを感じていた。
肉体的な体力は年齢を重ねてもそれなりに維持できるし、やりようによっては向上させることさえ出来る。だが精神的な体力、言い換えれば集中力や好奇心というものは、どうしたって衰えてくるものだ。経験というものは思考を短絡すると同時に、悩みや苦しみのような深い思考を失わせてしまう。悩みを下らないと断じること、それは解答を知っている者の特権であるが、物事は結果と等しく過程も重要であるから、過程を省略することは処世術としては便利だが、生きることから得られる満足感を減じてしまうのもまた確かだ。そのことを知っていて、その上で苦痛の解消よりも好奇心の湧出を優先する者は、敢えて苦しみ続ける。楽ではない生き方を選び続ける。新しいことには必ず苦しみが伴うことを知っていながら、新しさを求めずにはいられない人間がいると、知って欲しい。彼等は決まって孤独である。経験を積極的に放棄し、馴れ合いを好まない彼等は、必然的に孤独である。野火で燃え尽きた山に唯一本、檜のように真っ直ぐ伸びようと小さな葉を震わせる彼等の孤独を、笑いたければ笑え、嘲るなら嘲ればいい。だが彼等は、広い広い空を独占している。