![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55302944/rectangle_large_type_2_d0eaddaa96cf071c51e30a04a09ceecc.jpg?width=1200)
【随想】太宰治『ろまん燈籠』
ラプンツェルの髪の毛は、婆さんに毎日すいてもらっているお蔭で、まるで黄金をつむいだように美事に光り、脚の辺まで伸びていました。顔は天使のように、ふっくりして、黄色い薔薇の感じでありました。唇は小さく莓のように真赤でした。目は黒く澄んで、どこか悲しみをたたえていました。王子は、いままで、こんな美しい女の子を見た事がない、と思いました。
「私が傍にいるじゃないか。」王子は、にがり切って言いました。
「いいえ、あなたは駄目。あなたは、あたしを、ずいぶん可愛がって下さいましたが、ただ、あたしを珍らしがってお笑いになるばかりで、あたしは何だか淋しかったのです。いまに、あたしが子供を産んだら、あなたは今度は子供のほうを珍らしがって、あたしを忘れてしまうでしょう。あたしはつまらない女ですから。」
「君は、ご自分の美しさに気が附かない。」王子は、ひどく口をとがらせて唸るように言いました。「つまらない事ばかり言っている。きょうの質問は実にくだらぬ。」
「あなたは、なんにも御存じ無いのです。あたしは、このごろ、とても苦しいのですよ。あたし、やっぱり、魔法使いの悪い血を受けた野蛮な女です。生れる子供が、憎くてなりません。殺してやりたいくらいです。」と声を震わせて言って、下唇を嚙みました。
「だから、あたしは、子供を産むのは、いやですと申し上げたじゃありませんか。あたしは魔法使いの娘ですから、自分の運命をぼんやり予感する事が出来るのです。あたしが子供を産むと、きっと何か、わるい事が起るような気がしてならなかった。あたしの予感は、いつでも必ず当ります。あたしが、いま死んで、それだけで、わざわいが済むといいのですけれど、なんだか、それだけでは済まないような恐ろしい予感もするのです。神さまというものが、あなたのお教え下さったように、もしいらっしゃるならば、あたしは、その神さまにお祈りしたい気持です。あたしたちは、きっと誰かに憎まれています。あたしたちは、ひどくいけない間違いをして来たのではないでしょうか。」
ラプンツェルは、たしかに、あきらめを知らぬ女性であります。死なせて下さい、等という言葉は、たいへんいじらしい謙虚な響きを持って居りますが、なおよく、考えてみると、之は非常に自分勝手な、自惚れの強い言葉であります。ひとに可愛がられる事ばかり考えているのです。自分が、まだ、ひとに可愛がられる資格があると自惚れることの出来る間は、生き甲斐もあり、この世も楽しい。それは当り前の事であります。けれども、もう自分には、ひとに可愛がられる資格が無いという、はっきりした自覚を持っていながらも、ひとは、生きて行かなければならぬものであります。ひとに「愛される資格」が無くっても、ひとを「愛する資格」は、永遠に残されている筈であります。ひとの真の謙虚とは、その、愛するよろこびを知ることだと思います。愛されるよろこびだけを求めているのは、それこそ野蛮な、無智な仕業だと思います。
「不思議な事もあるものだ。」と魔法使いの老婆は、首をかしげて呟いた。「こんな筈ではなかった。蝦蟇のような顔の娘が、釜の中から這って出て来るものとばかり思っていたが、どうもこれは、わしの魔法の力より、もっと強い力のものが、じゃまをしたのに違いない。わしは負けた。もう、魔法も、いやになりました。森へ帰って、あたりまえの、つまらぬ婆として余生を送ろう。世の中には、わしにわからぬ事もあるわい。」そう言って、魔法の祭壇をどんと蹴飛ばし、煖炉にくべて燃やしてしまった。祭壇の諸道具は、それから七日七晩、蒼い火を挙げて燃えつづけていたという。老婆は、森へ帰り、ふつうの、おとなしい婆さんとして静かに余生を送ったのである。
王は青年に問うた。
「お前が貧しいのは我の執政によるものと思うか。」
青年は王の眼をしっかり見据えて答える。
「私は確かに貧しい男です。それを王様が御存知なのは何故でしょうか。あなたは私を貧しくしたのではありません。私は元々貧しいのです。貧しさの中に生まれ、貧しさの中に生きております。それは私の生活であります。あなたの御執政の如何など問題ではないのです。王様は、何故、私を貧しいと御存知なのでしょうか。あなたは貧しさというものを御存知なのでしょうか。私は街の真中であなたを批判しました。叫びました。あなたの豪奢なお暮らしぶりを、民から徴収した貴重な財を惜しみなく使っている事実を批判しました。しかしそれはあなたの富を民に私に分けろという意味ではありません。唯、そのような暮らしをやめるべきだと、往来を通る人々に訴えたのです。それはおかしい、と叫んだのです。私が貧しい事や、執政の不正や、そのような事には一切言及して居りません。王様、あなたは何故、私を貧しいと御存知なのでしょうか。」
いいなと思ったら応援しよう!
![Junigatsu Yota](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/123974890/profile_9f0045194ac6b4b04138f3adfcf4686a.png?width=600&crop=1:1,smart)