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【随想】太宰治『葉桜と魔笛』

「姉さん、あたし知っているのよ。」妹は、澄んだ声でそう呟き、「ありがとう、姉さん、これ、姉さんが書いたのね。」
 私は、あまりの恥ずかしさに、その手紙、千々に引き裂いて、自分の髪をくしゃくしゃ引き毮ってしまいたく思いました。いても立ってもおられぬ、とはあんな思いを指して言うのでしょう。私が書いたのだ。妹の苦しみを見かねて、私が、これから毎日、M・Tの筆蹟を真似て、妹の死ぬる日まで、手紙を書き、下手な和歌を、苦心してつくり、それから晩の六時には、こっそり塀の外へ出て、口笛吹こうと思っていたのです。

太宰治『葉桜と魔笛』(短編集『新樹の言葉』)新潮社,1982

 夢、幻、影、気、霊、幽、炎、水、光、波、風、心。在るようで、無いようで、在るような、無いような。在ると思えば、在る。無いと思えば、無い。掴もうとすると摑めない。忘れようとすると主張してくる。在ることを無いことには出来ない。無いと思えばやっぱり在る。これだけの不思議に囲まれていながら、何も疑問に思わず、惑わされる事無く、思い悩む事無く、当たり前に暮らす事が出来る。それが一番不思議だ。

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