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【随想】太宰治『右大臣実朝』①

  ハルサメノ露ノヤドリヲ吹ク風ニコボレテ匂フヤマブキノ花
 天真爛漫とでも申しましょうか。心に少しでも屈託があったなら、こんな和歌などはとても作れるものではございませぬ。

太宰治『右大臣実朝』(『惜別』)新潮社,1973

それも決して将軍家が相州さまに対して御自身の怨をはらそうなどという浅墓なお心からではなく、ただ正しい道理を凜然と御申し渡しになっただけの事で、その事に就いては、前にも幾度となく繰り返して申し上げましたが、将軍家の御胸中はいつも初夏の青空の如く爽やかに晴れ渡り、人を憎むとか怨むとか、怒るとかいう事はどんなものだか、全くご存じないような御様子で、右は右、左は左と、無理なくお裁きになり、なんのこだわる所もなく皆を愛しなされて、しかも深く執着するというわけでもなく水の流れるようにさらさらと自然に御挙止なさって居られたのでございますから、その日、相州さまに仰せられた事も、ほかの意味など少しもなく、ただ、あの御霊感のままにきっぱりおっしゃっただけのことと私は固く信じて居ります。

同上

 尼御台さま、と聞いて相州さまは幽かにお笑いになられました。そうして、ふいと何か考え直したような御様子で、御病床の将軍家のお顔をちらりとお伺いなさった間一髪をいれず、
 事ノ正邪デハナイ
 お眼を軽くつぶったままで、お口早におっしゃいました。
 さすがの相州さまも虚をつかれたように、ただお眼を丸くして将軍家のお顔を見つめて居られました。

同上

 浅慮軽薄と軽んじていた相手の言動が、実は自分よりも遙かに広い知識と深い洞察に基づき慎重に選び抜かれたものであったと知ったときの、紅顔絶頂まで高まりまさしく顔から炎が吹き出すようなあの恥辱、悔悟、情けない、みっともない、周囲の人間の態度全てが嘲笑に見えるようなあの感覚は、どうやら幾年経とうが消えることはないようだ。
 そのような状況は何度でも起きる、自と他とを問わず。忘れかけはしてもきっと思い出す。思い出すというよりも再確認する。むしろ最新の素材と最新の塗料と最新の技術をもって、よりグレードアップして再生産される。記録は記憶の風化を許してはくれない。形の無いものは形を無くすことが出来ない。
 物体を最高度に磨き上げると鏡面となるように、洗練された言葉は自身と世界を映す。

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