【随想】太宰治『右大臣実朝』②
その始点に於いて方向を間違えた理はいい加減な勘よりもかえって性質が悪い。その理の展開が正確であるがゆえ進むに連れ間違いは大きくなり、その行く先はいよいよ明後日の方向となる。何より厄介なのはその間違いに気付くことが極めて難しいという点だ。どれだけ検証しても展開の仕方そのものは正しいのだから間違いに気付きようが無い。誰かが勇気を出して後ろを振り返り初めからやり直すことを進言し、皆が勇気を出して築き上げたものを壊さなければコンコルド効果でいよいよ取り返しがつかなくなっていく。結果というものは最後の最後まで分からないものだから、途中で疑問が生じても目指す完成形とは程遠いと感じても、一発逆転サヨナラホームランの希望があるものだから断ち切れない。これが理の恐ろしさである。
人間社会にはどうしてもこのような性質が付いてくる、だからリーダーが大切となる。
民主主義的コンセンサスは短期的案件・小規模案件には有効だろう。失敗時の損害が小さいからだ。たとえ失敗しても責任は小さく多数に分散され個人が受けるダメージは軽くて済む。コンセンサスのメリットとは責任の分散、唯これ一つである。
本来、進むべき方向とは優秀な人間が一人で決めるべきものだ。誰しも一度は経験し実感している筈、多数の愚鈍な人間の公約数的解答より一人の英知あふれる人間の独断の方がはるかに優れていることを。民主主義や平等主義を絶対正義と盲信している者は、優れた人間の意見に無能な人間の意見を混ぜることの危険性を理解しなければならない。それは研ぎ澄まされた刃に獣脂を塗りたくるが如き行為である。清澄透明な水面に墨汁を落とすが如きで行為である。
大多数の凡庸な民の平均能力値を向上させることは確かに必要だが、それは少数の優れたリーダーが確保された後にすべきだ。優先順位を間違えてはいけない。近年はものの順番というものがまるで無視され手軽な成果のみが追い求められている。過去は現在の為にあり現在は未来の為にある、今日生まれた子は明日生まれる子の為に生きなければならない。現代はあまりに”継承”を蔑ろにしている。
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