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【随想】太宰治『燈籠』
海水着ひとつで、大丸さんに、どんな迷惑がかかるのか、人をだまして千円二千円としぼりとっても、いいえ、一身代つぶしてやって、それで、みんなにほめられている人さえあるじゃございませんか。牢はいったい誰のためにあるのです。お金のない人ばかり牢へいれられています。あの人たちは、きっと他人をだますことの出来ない弱い正直な性質なんだ。人をだましていい生活をするほど悪がしこくないから、だんだん追いつめられて、あんなばかげたことをして、二円、三円を強奪して、そうして五年も十年も牢へはいっていなければいけない、はははは、おかしい、おかしい、なんてこった、ああ、ばかばかしいのねえ。
罪を犯した者を非難する心理は一体何に由来するのか。ルールを破ってはいけないという共通認識は如何にして醸成されるのか。犯罪者は異常な人間なのか。異常とは排除されなければならないのか。人は何故生まれながらにルールに従う事を強制されるのか。自由とは生まれるかどうかの選択権唯一つを指し、生誕以降は全て不自由なのではないか、だとすれば、自由とは自分の意志を持たない者のみが持ち得るものではないのか。人権とは、個人の尊重ではなく、むしろ集団の尊重がその本質ではないのか。人はその生活に常に矛盾を孕んでいる。一本筋が通った試しが無い。誰も芯など通っていない。赤児を守るその手で虫を叩き潰す。花を愛で犬猫を撫でるその手で野菜や牛豚を切り刻む。法定速度を当たり前に超過して帰宅した日にニュースで事故を起こした者を見て糾弾する。他者の罪は見逃さないが自身の罪には気付きもしない。夜闇を照らす街の灯りに招き寄せられた虫たちは招かれざる客として虐殺されていく。誰が招待してくれと頼んだ。
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