【随想】太宰治『懶惰の歌留多』
やろう。死ぬまでやろう。いつか死ぬのだ。死ぬまでやろう。死んでもやろう。死んでからもやろう。地獄の底で、極楽の隅で、こそこそ馬鹿みたいに、愚直に、ひたすらやろう。仏に呆れられ、獄卒に小突かれても、やろう。遠回りしてきた、いやそうではない、こうなるべくしてなったのだ。これがベストなのだ。この道しかなかったのだ。全部全部必要だったのだ。悪くない、どころではない、最高だ。だからやろう。今やれるから、今やろう。いるじゃないか、私はここにいるじゃないか。あるじゃないか、世界はここにあるじゃないか。これ以上、何が必要だと言うのだ。全部足りている。満ちている。もう、やるしかないのだ。
地球から月まで直線距離で約38万km、一日20km歩いて19000日、約52年である。決して不可能な数字ではない。現実的に可能な範囲である。のび太も考えた、人は地球から月まで歩くことが出来る。数字の上とはいえ、世界一周どころか、隣の天体までの距離を歩くことが可能であるという事実。決して手が届かないと思われるはるか天空の彼方に見える星、それが実は人間一人の一生の内に到達し得る場所にあるという事実。これは、とてつもない事実である。無理が無理ではない、不可能が不可能ではない。なんということだ、この事実を正面から受け止める事が出来たのならば、世界はひっくり返るぞ。ニュートンの林檎である。認識が一変する。宇宙にさえ手が届く、いわんや、否、これはもう言うまでもあるまい。
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