死ぬときは一人で死ぬ? いや一人では死ねないね。道連れにするんじゃないぜ。ただ、死ぬときはみんな死ぬのさ。或一人が死ぬとき、そいつとみんなが死ぬ。君は生きている。そりゃそうさ、君が誰かを知っていたって、君が誰かに知られていたって、君は君でしかないし、君は君以外の誰とも何の関係も無い。知っている、知られているなんて、何の関係も無い。愛しているとか、触れ合っているとか、憎み合っているとか、殺したくなる程触れ合っているとか、そんなの全部関係無い。君が死ぬとき、みんな死ぬ。君はまだ死んでいない。だからみんな生きている。君が生きているのは誰のお陰でもない。君が生きているから君は生きている。全部君のせいさ。君は死ぬ。いつか死ぬ。でも、死ぬって何だ。終わりか? 消失か? 真っ暗になることか? 何もかもが無意味になることか? 違うね、全然違う。死ぬってことは、死なんてものは、無いんだよ。話が違う? いいんだよ。死を前提にして君を定義した、だから死は無意味になるんだ、死が消失するんだ。君は、どこにもいない。だから君は何の意味も無く定義された。定義の為に定義された。つまり、消えたんだ。死んだことにして、死を眺めてみようか。君を死んだことにして、君は君になれよ。