人は人と言葉を交わしながら絶えず己と対話している。誰かに心奪われている時も、誰かを褒めている時も、殺したい程誰かを憎んでいる時でさえ、瞳に写る他人の瞳に写る自分自身を見つめている。自分の意識を離れたかに思える言葉にも常にリードが繋がれていて、たとえ視認出来ない程遠くに行ってしまっても、その存在を感覚している。愛情も殺意も支配願望も、心の空隙を、その空腹感を埋めようと、自ら産み出す吐瀉物。自分で吐いたものをまた喰らう、愚かで醜い人間の本性だ。本当は、誰にも確かな意思などなくて、確かな認識などなくて、他人など何処にもいなくて、世界さえ誂えられた舞台でしかなくて、全部全部唯の独り言なんじゃないかと、思えてくる。それは愛している時も、愛されている時も。