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【随想】太宰治『グッド・バイ』
セットの終ったころ、田島は、そっとまた美容室にはいって来て、一すんくらいの厚さの紙幣のたばを、美容師の白い上衣のポケットに滑りこませ、ほとんど祈るような気持で、
「グッド・バイ。」
とささやき、その声が自分でも意外に思ったくらい、いたわるような、あやまるような、優しい、哀調にも似たものを帯びていた。
キヌ子は無言で立上る。青木さんも無言で、キヌ子のスカートなど直してやる。田島は、一足さきに外に飛び出す。
ああ、別離は、くるしい。
キヌ子は無表情で、あとからやって来て、
「そんなに、うまくも無いじゃないの。」
「何が?」
「パーマ。」
「ピアノが聞えるね。」
彼は、いよいよキザになる。眼を細めて、遠くのラジオに耳を傾ける。
「あなたにも音楽がわかるの? 音痴みたいな顔をしているけど。」
「ばか、僕の音楽通を知らんな、君は。名曲ならば、一日一ぱいでも聞いていたい。」
「あの曲は、何?」
「ショパン。」
でたらめ。
「へえ? 私は越後獅子かと思った。」
音痴同志のトンチンカンな会話。
花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ
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