【随想】宮沢賢治『シグナルとシグナレス』
関係の特殊性が言葉の意味と重さを変える。単なる知人友人同士の間で使用される分には何の意味も持たない戯れ言も、たとえば恋人同士の間では途端に重く切実なものとなる。「ありがとう」「さようなら」、こんな儀礼的な言葉にさえ冷熱が付き纏い大きな感情を呼び起こす。「へぇ、そうなんだ」、こんな一言に未来の共同生活の破綻を見抜き別れを告げる者もいる。端から見れば児戯に等しい恋愛劇も、本人たちはあくまで真剣であり時に生死を分かつこともあるのだ。「くだらない」、それは主観でしか有り得ない。河原で拾った石英をダイアモンドと信じて磨き続ける行為を、きっと誰もが笑うだろう。しかし何かを本気で信じている瞳はどんな宝石よりも輝いていることに気付く者は殆どいない。真実価値有るものとは、価値を信じる心そのものだ。信じる者は救われる。誰あろう、己自身によって救われる。
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