作品はそれが不特定多数の目に晒されることを前提としているのなら、時代による価値基準の変化も覚悟せねばならない。それが作られた時代には善であったことが時代が下ると悪とされる。ほぼ全ての作品はやがてそうなる運命だ。作品は歴史的変化も含めて作品である。見る者により解釈は常に異なる。時代毎に一定の共通認識はあるようだが、それさえ保証の限りではない。いらぬ角が立たぬように暗黙の了解で擦り合わせている面が多分にある。肉体的制約もあるのだろうが、遺伝的特徴や育った環境の違いで生物の思考はほとんど無限に変化する。猫が犬のように振る舞うのも別段珍しいことではない。
お伽話の解釈も得られる教訓もまた人や時代により千差万別。一応常識とされる解答は用意されているが、それに従う義務など無い。知識の一つとして押さえておけばいいだけだ。
桃太郎一家が実は裏で鬼たちと示し合わせており、あれは貧困老夫婦による人生最後一世一代の大博打、壮大なショービジネスではなかった、という証拠など無いのだ。