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【随想】芥川龍之介『偸盗』③

「何処へ行こう」
 外へ出て、思わずこう小首を傾けた太郎は、ふとさっきまでは、自分が沙金に会うつもりで、猪熊へ来たのに、気がついた。が、どこへ行ったら、沙金に会えると云う、当てもない。
「ままよ。羅生門へ行って、日の暮れるのでも待とう」
 彼のこの決心には、勿論、幾分沙金に会えると云う望みが、隠れている。沙金は、日頃から、強盗にはいる夜には、好んで男装束に身をやつした。その装束や打物は、皆羅生門の楼上に、皮子へ入れてしまってある。――彼は、心をきめて、小路を南へ、大股に歩き出した。
 それから、三条を西へ折れて、耳敏川の向う岸を、四条まで下って行く――丁度、その四条の大路へ出た時の事である。太郎は、一町を隔てて、この大路を北へ、立本寺の築土の下を、話しながら通りかかる、二人の男女の姿を見た。
 朽葉色の水干とうす紫の衣とが、影を二つ重ねながら、はればれした笑声を後に残して、小路から小路へ通りすぎる。めまぐるしい燕の中に、男の黒鞘の太刀が、きらりと日に光ったかと思うと、二人はもう見えなくなった。
 太郎は、額を曇らせながら、思わず路側に足をとめて、苦しそうに呟いた。
「どうせみんな畜生だ」

芥川龍之介『偸盗』(短編集『地獄変・偸盗』)新潮社,1968

 相手を殺すか、相手に殺されるか、二つに一つより生きる路はない。彼の心には、こう云う覚悟と共に、殆常軌を逸した、兇猛な勇気が、刻々に力を増して来た。相手の太刀を受止めて、それを向うへ斬返しながら、足もとを襲おうとする犬を、突嗟に横へ躱してしまう。――彼は、この働きを殆同時にした。そればかりではない。どうかするとその拍子に斬返した太刀を逆にまわして、後から来る犬の牙を、防がなければならない事さえある。それでも流石に何時か疵をうけたのであろう。月明りにすかして見ると、赤黒いものが一すじ、汗ににじんで、左の小鬢から流れている。が、死に身になった次郎には、その痛みも気にならない。彼は、唯、色を失った額に、秀でた眉を一文字に顰めながら、恰も太刀に使われる人のように、烏帽子も落ち、水干も破れた儘、縦横に刃を交えているのである。

同上

 その時である。太郎は、そこを栗毛の裸馬に跨って、血にまみれた太刀を、口に啣えながら、両の手に手綱をとって、嵐のように通りすぎた。馬は云うまでもなく、沙金が目をつけた、陸奥出の三才駒であろう。既に、盗人たちがちりぢりに、死人を残して引き揚げた小路は、月に照らされて、さながら霜を置いたようにうす白い。彼は、乱れた髪を微風に吹かせながら、馬上に頭をめぐらして、後に罵り騒ぐ人々の群を、誇らかに眺めやった。

同上

 すると忽ち又、彼の唇を衝いて、なつかしい語が、溢れて来た。「弟」である。肉身の、忘れる事の出来ない「弟」である。太郎は、緊く手綱を握った儘、血相を変えて歯嚙みをした。この語の前には、一切の分別が眼底を払って、消えてしまう。弟か沙金かの、選択を強いられた訳ではない。直下にこの語が電光の如く彼の心を打ったのである。彼は空も見なかった。路も見なかった。月は猶更眼にはいらなかった。唯見たのは、限りない夜である。夜に似た愛憎の深みである。太郎は、狂気の如く、弟の名を口外に投げると、身をのけざまに翻して、片手の手綱を、ぐいと引いた。見る見る、馬の頭が、向きを変える。と、又雪のような泡が、栗毛の口に溢れて、蹄は、砕けよとばかり、大地を打った。――一瞬の後、太郎は、惨として暗くなった顔に、隻眼を火の如くかがやかせながら、再、元来た方へまっしぐらに汗馬を跳らせていたのである。
「次郎」
 近づく儘に、彼はこう叫んだ。心の中に吹き荒ぶ感情の嵐が、この語を機会として、一時に外へ溢れたのであろう。その声は、白燃鉄を打つような響を帯びて、鋭く次郎の耳を貫いた。
 次郎は、屹と馬上の兄を見た。それは日頃見る兄ではない。いや、今し方馬を飛ばせて、一散に走り去った兄とさえ、変っている。険しくせまった眉に、緊く、下唇を嚙んだ歯に、そうして又、怪しく熱している隻眼に、次郎は、殆ど憎悪に近い愛が、――今まで知らなかった、不思議な愛が燃え立っているのを見たのである。
「早く乗れ。次郎」

同上

 その夜、阿濃は、夜更けて、ふと眼をさますと、太郎次郎と云う兄弟のものと、沙金とが、何か声高かに争っている。どうしたのかと思っている中に、次郎が、いきなり太刀をぬいて、沙金を斬った。沙金は助けを呼びながら、逃げようとすると、今度は太郎が、刃を加えたらしい。それからしばらくは、唯、二人の罵る声と、沙金の苦しむ声とがつづいたが、やがて女の息がとまると、兄弟は、急に抱きあって、長い間黙って、泣いていた。阿濃は、これを遣り戸の隙間から、覗いていたが、主人を救わなかったのは、完く抱いて寝ている子供に、怪我をさすまいと思ったからである。――

同上

 共に重ねた時間に勝るものはない。どんな理屈も、どんな利益も、どんな憧れも、どんな信頼も、肉体に刻まれた傷と心に根を張った思い出の強さには及ばない。友情も恋愛も、所詮は一時の錯覚に過ぎない。それが実体として血肉に変わるには、どうしたって時間が必要だ。他人が自分自身と同じ、いやそれ以上の価値になることは、有り得る。時間がそれを可能にする。
 自分を大切にするのは意外と難しい。自分に価値を感じるのは簡単な事ではない。だから自分だけの為に生きるのは、難しい。だが心から大切と思える何か誰かがあると、人は生きられる。強い心を持って、張り合いのある人生を送る事ができる。
 何が大切か。何を守りたいのか。それが人生の原点だ。

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