幼い頃から、怒りや恐怖があまり長続きするとふいに笑いに変わることがある。自分の怒り、相手の怒り、恐怖や悲しみも同じだが、ある時急にその場面を眺める第三者の視点へと変わる。相手は確かに自分に感情をぶつけている、それは分かるがまるで実感がない、心は平穏でさざ波一つ立たない。客観的に見るその光景がなんだか可笑しくてたまらない。そいつは人形だよ、人形相手に「黙ってないで何とか言え!」って、そりゃ無茶ってもんだろう。あんたは一体一人で何を興奮しているんだ、って笑ってしまう。勿論それは火に油を注ぐ結果になるのだけれど、燃え盛るほど尚更笑えてくるのだからタチが悪い。
式典とか葬式とか、厳粛な雰囲気に心を合わせるのも苦手だ。過度な緊張に対する心理的な防御反応だろうって、もっともらしい理屈で納得することも出来るのだけれど、なんだかそれで片付けるには勿体ない。喜怒哀楽の根源がそこに潜んでいるような気がする。