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【随想】太宰治『新ハムレット』①

お父さんが、なくなってからは、僕の生活も滅茶滅茶だ。お母さんは僕よりも、山羊のおじさんのほうに味方して、すっかり他人になってしまったし、僕は狂ってしまったんだ。僕は誇りの高い男だ。僕は自分の、このごろの恥知らずの行為を思えば、たまらない。僕は、いまでは誰の悪口も言えないような男になってしまった。卑劣だ。誰に逢っても、おどおどする。ああ、どうすればいいんだ。ホレーショー。父は死に、母は奪われ、おまけにあの山羊のおばけが、いやにもったいぶって僕にお説教ばかりする。いやらしい。きたならしい。ああ、でも、それよりも、僕には、もっと苦しい焼ける思いのものがあるのだ。いや、何もかもだ。みんな苦しい。いろんな事が此の二箇月間、ごちゃまぜになって僕を襲った。くるしい事が、こんなに一緒に次から次と起るものだとは知らなかった。苦しみが苦しみを生み、悲しみが悲しみを生み、溜息が溜息をふやす。自殺。のがれる法は、それだけだ。

太宰治『新ハムレット』(『新ハムレット』)新潮社,1974

僕には、まだ自信が無いんだ。叔父さんが位に即いてくれて、僕はかえって気楽になった。本当だよ。僕は、もう暫く君たちと自由に冗談を言い合って遊んでいたいよ。なんでもないんだ。もともと、叔父と、甥の仲じゃないか。

同上

だから、だから、それだから僕は、くるしんでいるのです。くるしい時に、くるしいと言ってはいけないのですか? なぜですか? 僕は、いつでも、思っていることをそのまま言っているだけです。素直に言っているのです。本当に、淋しいから、淋しいと言うのです。勇気を得たから、勇気を得たと言うのです。なんの駈け引きも、間隙も無いのです。精一ぱいの言葉です。

同上

 歴史は繰り返す。完全に同意である。既に何度も繰り返されてきたように今この時もまたいずれ繰り返される、いや今この瞬間もいつかのある時を繰り返している。歴史とは一種の夢のようなものだ。確かに存在していながらその証拠を手にすることは出来ない、ただ記憶の中にあるのみ。記憶が妄想でないという証拠は無いし、妄想が妄想であるという証拠も無い。何も無い。何も無いというより、何も無いと言う他無い。

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