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テンセントとは何か──世界No.1ゲーム企業、その未知なる戦略と本質

1月7日、世界のゲーム業界を震撼させる報道がされた。世界最大のゲーム企業として知られる中国テンセントが米国防総省によって「中国軍と関連のある企業」に指定されたことが発表されたのだ。この発表に対し、テンセント側は即座に「われわれは軍事企業ではない」と公表しているが、その影響ははかりしれない。

ところが、そもそもテンセントとはどんな企業なのか、日本語で解説された情報はほとんどない。テンセントはアメリカやEUのみならず、任天堂を筆頭に多くの日本ゲーム企業とも連携・投資しており、絶大な影響力を持っているにもかかわらずだ。正にその影響力がアメリカに危惧された今こそ、テンセントについて知る適切なタイミングではないだろうか。

わたしは実際に中国のゲーム研究者、さらにはテンセントの関係者に取材した数少ない日本人の一人であり、この問題に対して正しくファクトベースで議論ができると思う。そこで今回、日本のゲームメディアとして初めて「テンセントとは何か」、この巨人の歴史、戦略、本質……そして当然「軍事企業」に指定された理由まで、約17000字で語りたい。

ではさっそく、テンセントとは何者か。まず最初に踏まえていてほしいのは、テンセントは〈ゲーム企業ではない〉という点だ。



任天堂とNTTを足して割らない、超大企業テンセント

まず前提として、テンセントとはどんな企業なのか、読者諸賢はどの程度知っているだろうか?この記事を読んでいる方はゲームファンやゲーム業界関係者が多いと思うので、恐らく「ゲーム業界の大企業」という点まで知っている人は多いだろう。そして、事実それは正しい。

テンセント・ホールディングス(騰訊控股有限公司)は1998年、深圳市で馬化騰(ポニー・マー)らによって創業された企業だ。世界中にデータセンターを含む拠点を持ち、10万人を超える社員を抱え、アリババやハーウェイなどともにアジア最大の企業の一つの規模を誇る。当然ゲーム業界における最大の企業であり、自社で数々のゲーム事業を営む一方で、日本や北米のゲーム企業に対する投資にも意欲的だ。

そんなわけで、テンセントが世界最大のゲーム企業であることは疑う余地はない。もっとも、これは半分正解で半分間違い。テンセントはゲーム企業である他にも、様々な「顔」を持っている。


ここでテンセントの決算資料を見てみよう。

Tencent Corporate Overview(2024)より

テンセントによれば、自社の事業を大きく3つに分けて公表している。その内訳は「VAS」「Online Advertising」「FinTech and Business Services」とある。

それぞれ和訳すると「付加価値サービス」「オンライン広告」「フィンテック及びビジネスサービス」といえようか。そう、この時点で「ゲーム」の名前は出て来ないのだ。厳密には「VAS」の中にゲーム事業が含まれているが、それでも全体の29%にしか満たない。むしろ電子決済やSNSの収益の方が大きい。

つまり、テンセントがゲームだけの企業ではなく、様々なIT事業によって成立している。日本で例えるなら、任天堂とNTTが合体したような、規格外のマンモス企業なのである(実際にはさらにその数倍の規模だが)。


その他にも、意外にも知られていないテンセントの独自性はある。例えば、収益のほとんどを中国で得ている(いた)屈指のドメスティック企業であること。創業者自ら認めるように、オリジナルにこだわらず模倣を続けて成功してきたこと。この手の企業としては驚くほどマーケティングに予算を投じていることなどだ。

これだけでも、テンセントが日本や北米の大企業と簡単に比較できないことはわかるだろうし、それゆえに恐怖や偏見の対象になりやすいのもテンセントだ。ではなぜテンセントは、現在のような形になったのか。なぜゲームもITもどちらも扱うような企業になったのか。その原点を知るために、ここからテンセントの創業から現在に至る簡単な歴史を振り返りたい。


「中国人のためにパクる」 マーケティング至上主義の模造戦略

テンセントについて論じた本の一つに、呉暁波『テンセント 知られざる中国デジタル革命トップランナーの全貌』というものがある。やや古いため現在のテンセントについて学ぶには心もとないが、創業当初のテンセントについて日本語で学べる貴重な資料だ。今回は本書を参考に、テンセントの歴史を簡単に振り返りたい。


まず、創生の話から始めよう。

インターネットの発端は、アメリカでヒッピーカルチャーだった。彼らは自由気質と興味本位で、インターネットを拡張し、様々なサービスが生まれた。そこからやや遅れた1990年代、毛沢東の没後に改革開放路線を進めていた中国にも、コンピュータとインターネットがやってきた。その時代にいち早く着目していたのが、ポニー・マーだ。

港湾局職員の父の家庭で育ったマーは、深圳大学で最先端のプログラミングを学ぶ。そして当時流行り始めていた掲示板を自力で運営し始めると、ネット上で繰り広げられる初のコミュニケーションに夢中となり、やがて会社を辞職してネットで知り合った同士たちとともに起業する。1998年、それがテンセントの始まりだった。なお全く同じ年に、アメリカではGoogleが誕生している。

もっとも、テンセントは当時(そして今も)決してオリジナリティで勝負はしなかった。テンセントがやることは、創業者自身が認めているように(そしてあらゆるIT企業がそうであるように)模倣真似イミテーション……。……つまりパクリだ。

1998年当初の深圳。まだ田園風景が残り、マー自身も天体観測や虫取りを楽しんだという。画像はWikipediaコモンズより。


例えば、最初にテンセントが手掛けたプロダクト「OICQ」(後に「騰訊QQ」へと改名)。リアルタイムでのチャット、メッセージ送信、ファイル送信などを実現するこのアプリ(日本でいう「LINE」に近い)はテンセントを象徴する人気サービスだ。

しかし、実はこれ、イスラエルで開発されたインスタントメッセンジャー「ICQ」の模造品である。実際、機能からインターフェイスまで、そっくりそのまま「ICQ」と同じ。名前を「QQ」に変えたのも、ICQの発明家からの訴訟を避けるためというもので、当事者すらパクリであることは自覚的だったのだ。

もっとも、パクれば誰でも成功できるというわけでもない。実際、模倣には大きな欠点がある。それは自身もまた模倣されると、差別化できず埋もれてしまうということ。テンセントが「OICQ」をローンチした頃には、早くも「ICQ」の模造品は「CICQ」「PICQ」など、パクリを隠すつもりもない模造品がすでに中国国内にも溢れていた。

サービス初期の騰訊QQ

そこでテンセントはただ模倣するだけではなく、「中国人に使わせるにはどうするか」を考えて模倣した。そもそも、当時大半の中国人は「インターネット」と聞いたら「インターナショナル?」(共産主義の讃美歌)と聞き間違えるほどにITリテラシーが低かった。そんな中国人にも「ICQ」の利便性を知らせるにはどうするべきか、テンセントは徹底したマーケティングによって様々な工夫を盛り込んでいったのだ。

まず彼らは中国のネット環境に着目した。当時、すでにパソコンが一家に一台普及していた日本やアメリカと異なり、中国ではネットカフェでの利用が基本。そこでテンセントは「ICQ」のメッセージを交わす「友達リスト」を、クライアント(パソコン本体)でなくバックエンドのサーバーに保存する仕組みを導入した。これにより、どのパソコンでログインしてもすぐ「友達」とメッセージをやり取りできるようになった。

他にも、中国の貧弱な回線に対応するべくファイルをサイズダウンしたり、TCPでなくUDPを採用した。特に面白い工夫が、今やどんなアプリにも導入されている「プロフィールカスタマイズ機能」だ。(絶対に許諾を得ていないであろう)ピカチュウやドナルドダックといった人気キャラクターの画像を用意したことで、パソコンに全く無頓着な中国人たちの間にも「OICQ」は広く普及した。

中国のネットカフェ。User:chrislb - 自行拍摄,CC BY 2.5,https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1261456


結果的に、OICQは並み居る模造アプリを抑え、2023年でも月間アクティブユーザー6億人を誇る超巨大アプリへと成長するなど、中国市場で大成功を収める。以降、テンセントはよりスマホに特化した「WeChat(微信)」、キャッシュレス決済の「QQ Wallet(QQ銭包)」によってより勢力を伸ばし、さらにゲーム、映画、音楽、SNS、動画配信、クラウドなど様々なエンタメやサービスを模倣しては中国に輸入することを繰り返し、現在の超大企業の地位へ上り詰めた。

こうしたテンセントの「模倣は模倣だが、中国人のために最適化して模倣する」の概念は、まさにテンセントの真骨頂とも呼べる。冒頭でも述べた通り、まずテンセントは過去から現在まで極めて中国国内での勢力が強い企業だ。模倣を恥ずかしげもなくやりつつ、一方でマーケットに最適化することで埋没を避ける。こうして14億人がひしめく世界最大の「中国市場」における独占的な地位を確立することによって、テンセントは成功してきた。

このテンセントの手法はゲーム事業でも変わらない。テンセントは2003年、さらなる若年層ユーザーの獲得を狙ってゲーム事業に参入するが、その際には同じ中国企業のシャンダの「泡泡堂」を模倣した「QQ堂」をヒットさせ(泡泡堂自体も『ボンバーマン』の模倣)、やがて韓国のMMORPGやFPSを公式に中国に輸入。2011年には、中国国内でも話題になっていた「Dota」を模倣したアメリカの『リーグ・オブ・レジェンド』を運営会社Riot Gamesごと買収し、更にこれをスマホ用に模倣した『王者栄耀』をリリース。これは今も世界で最もプレイヤーの多いゲームの一つである。

泡泡堂
王者栄耀。中国の教室ではゲームを遊んでいる子どもが教室に3割いたら、王者栄耀を遊ぶ子どもは10割いるという。

つまるところ、テンセントお得意の「中国市場」を前提にしたマーケティングと最適化によってゲーム事業も成功させてきた、というわけだ。

ここまでテンセントの経歴を駆け足で振り返ってきたが、この流れで「なぜテンセントがゲームとITどちらもやっているのか」について理解できたと思う。つまるところ、テンセントにとってはどちらも日欧米の船来物であることは変わらず、テンセントの戦略とは一貫してそれらの模倣と、中国市場へのマーケ及び最適化……つまり「輸入」なのだ。言い換えれば、テンセント最大の強みとは特定の技術やアイディアではなく、常に「中国市場へのマーケティング能力」なのであって、ゲームもITもその過程にすぎないのである。


なぜドメスティックなテンセントが軍事企業に指定されたのか?

さて、ここまでの議論を踏まえたうえで、冒頭の問題「テンセントは軍事企業なのか?」という問いに立ち返ると、少々奇妙なことが浮かぶ。

「軍事企業」というからにはテンセントの存在が対外的に何らかの悪影響を及ぼしていると考えるのが妥当だ。しかし、テンセントは、他の中国内外の企業と比べても圧倒的に「中国に強い」ことが強みの企業だった。中国国内でいくら強くても、それが軍事という対外的目的のために役立つわけでない。むしろ軍事から最も縁遠い「はずだった」のがテンセントだ。

では、どうして今になってテンセントは「軍事企業」としてアメリカにここまで敵視されるようになったのか。実はここで見落としてしまっているのが、テンセントのわずか20年の社史における大きな変化……つまり、2000年代と2010年代の間において生じた、大きな方針転換である。これは呉暁波による著書の中でも(2011年に取材を開始したことから)全く網羅されていない、テンセントの全く新たな真意を踏まえることによって、ようやく見えてくるテンセントの「もう一つの顔」が大きく影響している。


以下、有料部分においては

・2010年代のテンセントが掲げた新たな戦略とは
・テンセントが方針を変えざるを得なかった「3つの理由」
・2010年代のテンセントが生み出した次世代のマーケティング戦略
・予測:今後テンセント及びその傘下のゲーム企業はどうなるのか?

について論じています。いずれも経済メディアやゲームメディアでは語られていないテンセントの真相であり、現代のゲーム文化・ゲームビジネスを考える上で避けては通れない「巨人」について知ることのできる、一線級の資料になっています。ぜひ、この機会にご購読ください。


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