オーストラリアでは「アボリジニ」と呼ばず、「最初の人々」と呼ぶ
オーストラリアと「アボリジニ」
オーストラリア取材を終え、帰国してから数日経過した。お陰様で取材は大いに実りのあるものとなり、それは早ければ今年内に成果として公開できると思う。
ところで、ドイツ取材の際もそうだったが、私はオーストラリアで取材を終えた後、個人的な旅へと移行した。もとより、私は根っからの飛行機嫌いである。退屈な上に、気圧だか何だかのせいで気分が悪いまま、5時間とか10時間を過ごすのが苦痛でならない。だから、仕事だけ終えて帰国するなんて、もったいなくてできないのである。
そんなわけで、私はオーストラリアを10日ほど放浪していた。移動行程としては、まずオーストラリア最大の都市メルボルンに始まり、そこからエアーズロックを経由し、ケアンズから羽田空港への帰還という具合であった。
オーストラリアにおいては、実に様々な発見があった。例えば、豊富な天然資源のおかげか街中に無償乗車が可能なトラムが走っていて、いつでも好きなだけトラムに乗れるという制度だとか。なぜかストリートアートのレベルが異常に高くて、政府もそれを禁ずるどころか警察の目の前で公然と描かれているとか。
だけど、一番興味深いなと思ったのが、日本ではアボリジニと呼ばれる先住民との向き合い方だ。
当然ながら、「先住民」という問題はどこでもセンシティブな問題である。アメリカは言わずもがな、日本においても公然と語ることが難しく、もちろんオーストラリア史においても最大の楔だ。オーストラリアはその歴史上、多くの先住民を虐殺し、同化させたことで成立している国家なのだから。
しかしながら、時代が進む事にそうした歴史とオーストラリア(オーストラリア人)は向き合い続けてきたのだろう。白人が栄えた大都市であるヴィクトリア州でも、あるいは先住民の遺構を残すノーザンテリトリー州であっても、あるいはリゾートとして日本人にも人気なクイーンズランド州であろうと、先住民に対する説明を欠かした州は一つも存在していなかった。
そんな彼らだが、実は先住民を「アボリジニー(aborigine or aboriginal)」と呼ぶことはない。少なくとも私が確認した限り、そのような表記を見たことがない。では彼らは何と呼んでいるのか。私が訪れた3つの州にて、彼らはこう呼ばれていた。
なるほど、そりゃそうである。
最初に住んでいた人たちだから、ファースト・ピープル。もはやその呼称には、何ら政治性はない。右から見ても、左から見ても、それは揺るぎない事実。歴史的に、文化的に、人種的にさえ、彼ら彼女らはファースト・ピープルであって、その後にやってきた白人はどうしたって「セカンド・ピープル」なのだろう(なお、北米の先住民を同様に呼ぶ事例も増えている。念のため)。
しかし、ここだけ聞けば少なからず日本人は「気を遣っているなぁ」と感じるのではないだろうか。当然ながら日本列島にだって先住民はいて、北海道は言わずもがな関東以北ですら「ファースト・ピープル」とは歴史的に断じれないといえ。それでも、まぁ国是として我々マジョリティが「ファースト・ピープル」だったことにしている日本人としては、何故そこまで先住民に「配慮」するのかは、体感的にどうしても理解しがたい部分はあると思う。
「ファースト・ピープル」を、敬わざるを得ない理由
繰り返すように、先住民の問題はどの国・地域でもセンシティブなものとなりやすい。この理由として、歴史上における、近代的な残酷さというのを直裁に反映するものだから、という点はどの地域にも共通している。
ところが、少なくとも2000年代以降は、ただそうした歴史に対する「反省」や「同情」だけに留まらず、よりポジティブに先住民の宗教・文化・歴史に対する学びを得て、それを持ち帰ろうという動きが生じた。これはオーストラリアにおいても同様であり、だからこそ彼らは前向きな意図を籠めて「ファースト・ピープル」と呼ぶのだろうとも、察せられた。
これは実際にオーストラリアという大陸を、自分の両足で歩んでいるうちに、より具体性を持って筆者自身みえてきた部分である。オーストラリア人がなぜ「ファースト・ピープル」を敬うのか。これは同じように先住民との歴史を持つ、日本やアメリカとは全く異なる、オーストラリア固有の文化があるようなのだ。
そこで私が考えるに、ファースト・ピープルを敬う理由は、実のところオーストラリア大陸そのものにあったのではないかと思う。
まず、オーストラリア大陸は美しかった。純粋な「自然」を愛おしむうえで、これほど雄大で、壮絶で、鮮烈な世界は、他にないのではないだろうかと思う(世界のすべての自然を見て回ったわけではないが)。
というのも、オーストラリアは一つの巨大な大陸でできている。その面積はおよそ760万平方kmであり、これは中国(960万平方km)より少し小さく、アメリカ合衆国(2470万平方km)の3分の1程度ということになる。その点では、確かに大陸それだけでも十分に広い。
しかし、その広さに対して、あまりにも自然が多様なのである。具体的には、オーストラリアには「アウトバック」と呼ばれる巨大な砂漠が存在している。人口の大半はこのアウトバックの外側に住んでおり、南側の港町であるシドニーとメルボルンに大部分が集中する。この辺は緩やかな温帯性気候で、夏も冬も非常に過ごしやすい。その一方、同じ港町でも北側にあるケアンズやダーウィンは赤道に近く、海は恐ろしく美しい一方、陸にはまるでジュラシック・パークのような熱帯雨林が広がっている。
要するに、オーストラリア大陸はそれ自体が小さな地球といえるほど、地球上の多くの自然環境が再現されているのだ。ファンタジー世界のように樹林が生い茂るケアンズから、ほんの数時間で枯れ木すら生えない砂漠に行ける。そこから更に数時間南下すると、今度は羊が寝転がる草原が海岸まで広がっているのだ。私はまさにこの3つの地域すべてを訪れたが(残念ながら西部は行けなかった)、正直、これがとても同じ大陸だとは思えないほどだった。
私はそこそこ旅好きで、国内もほぼ日本一周をするほど旅をした。そして、その上であえて言うのだが、日本列島は美しいが退屈な土地である。もちろん、日本には美しい景観が多数ある。四国のカルスト、知床の岬、京都の街、そして無論のこと、富士の山。
しかし、これらには一つ共通点がある。そう、全部、山とそれに付随するものなのだ。日本でバイクや車、あるいは列車で旅をしようにも、その景色は山、山、山、山、山……間に川や湖があり(そりゃ山は水をせき止めるのだから当然だ)、たまに海を眺めることはできる(そりゃ川や湖から水が流れ出るから当然だ)。山と、山がうみだした水の流れ。美しいが退屈とは、こういうことなのだ。
もちろん私は、今も日本の景色を愛しているし、この原稿を仕上げた後に計画している紅葉のための山歩きでもしようかと考えている。とはいえ、こと自然に対する崇敬という点でオーストラリア人は当然ながら、日本人をまさるのではないかと思う。これほど多様な自然。これを前にして、この自然を「拓く」という発想は出てこないだろう。何故なら、物理的に不可能だから。
そのうえで、当然ながらこの自然とともに生きた先住民を、ファースト・ピープルと敬うのである。というのも、オーストラリアの自然が多様だと言ったが、これはあくまで観光客目線の話。仮に、住むのであれば自然は「退屈」にこしたことはない。人間が居住するに適する自然などというのは、数ある自然の中でほんのごく一部。現にオーストラリア人の大半は、オーストラリア大陸の片隅にある都市に集中している。
とりわけ印象深かったのは、内陸部(アウトバック)の中でさらにど真ん中にそびえる「ウルル」(以前はエアーズ・ロックとも)を見物に行った際のこと。ずばり、私は死にかけた。なんたって気温40度、湿度はほぼゼロ。暑さに強いはずの日本人は、とても東京で見た天体と同じものとは思えない、強烈な太陽の光に灼かれて死にかけたのだ。
しかし、そこは世界自然遺産に選ばれたウルル。私のような軟弱な観光客を保護するために、ホテルにスーパーマーケット、警察や病院を完備した集落「エアーズロックリゾート」が用意されている。実際、私を含む多数の観光客は、この「リゾート」の中で過ごしていた。20度に設定されたエアコンの冷風に癒やされながら、である。
私はそこで、当然のように先住民に対する、本能的な敬意が湧き出た。聞けば、ここに住んでいたアナング族は、5万年前からここにいて、日々ウルルを崇めていたというではないか。5万年。この、絶望的な、白人さえ寄り付かなかった土地で、5万年。当然ながら、エアコンも、上下水道もない中で、5万年。さすがに、それはファースト・ピープルと呼ぶほかない。
一方、その後に私が向かったケアンズの熱帯雨林は、見事にウルルとは対照的な自然であり、それもまた本能的な恐怖を覚えた。なんたって、この熱帯雨林、あまりにも力強すぎるのだ。日本の森林も力強いものだったが、ここの木々は1本が数十メートルにもなって、そこにはツタが生え、新たに木が生えている。そして当然、膨大なまでの虫、鳥、草食獣に肉食獣が、我が物顔で闊歩している事実、数々の極彩色の鳥が、日本ではとても聞いたことのないようなけたたましい鳴き声で、威嚇をしていた。
あらゆる生き物を殺すウルルの砂漠も恐ろしいが、この、あらゆる生き物を活かすケアンズの熱帯雨林も、全く同等に恐ろしい。私はスカイレイルというゴンドラで見物したが、万が一このゴンドラが墜落した場合、私はあらゆる木々によって方向感覚を失い、あらゆる獣たちによって骨まで召し上がられてしまう様子を想像できた。
そしてこの熱帯雨林にも、ジャプカイ族という先住民がいて、何万年も暮らしてきたのだ。
それは、当然に敬ってしまうのである。決して白人に蹂躙された気の毒な弱者としてではなく、むしろ、白人やアジア人が裸足で逃げ出すような土地で何万年も生きてきた強者として。「刃牙」のノリである。
オーストラリア大陸に依存する白人と、ファースト・ピープルに救われるアジア人
私が、たった数日滞在しただけの過客の身なれど、「ファースト・ピープル」への畏敬を覚えたのは、こういう理由だった。これは実際にオーストラリアに行かなければ絶対にわからない、というか本能レベルで感じようがないことなので、非常に得難い経験だったと思う。
ところで、ここまではあくまで私自身の主体的な経験に基づくものだったのだが、オーストラリアにおいて「ファースト・ピープル」が敬われる理由というのは、もう少し客観的な2つの点からも説明できるので、それは付け足しておきたい。
オーストラリア人がファースト・ピープルを敬う、もっともらしい理由の一つは、まずオーストラリア人がオーストラリア大陸それ自体に強く依存していることが挙げられる。
何を当たり前のことを、と思うかもしれない。確かに、どんな国民だってその土地に依存している。日本人とて、この美しい山々とそれらが与える莫大な水資源によって今日まで生きてきた。しかしオーストラリアの場合、その程度の依存では済まない。
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