いつでも謎はぼくたちをワクワクさせる
子供の頃、新日本プロレスは日曜12時から放送していた。新日はTV朝日系なので、地元ではリアルタイムで放送していなかった。地元の放送局が買取の形で放送していたのだろう。だから通常の放送より1週間か2週間遅れで見ていたということになる。
今だったら、リアルタイムで情報は何でも入ってくるが、当時はそういうわけにはいかなかったので、プロレス雑誌に頼るしかなかった。
そして、81年の春、とんでもないものを見ることになる。
タイガーマスクの登場である。
このインパクトはとんでもなく凄かった。この凄さを今の世代にどう伝えればいいのだろう。マイケルジャクソンがムーンウォークを披露した時も凄かったけど、子供にとってはそれ以上だった。
ご存じのように、タイガーマスクは漫画の主人公。アニメにもなっていたので当時の子供たちは誰もが知っていた。
その漫画の主人公がプロレスに登場するのである。今だったら、「鬼滅の刃」の煉獄杏寿郎がマスクマンになるくらいだ(ちょっと的外れな気もする)。
よく知られているように、初登場のときはまだマスクがちゃっちく、会場にいたファンからも失笑が漏れていた。ところが、いざ、試合が始まると、我々は驚愕することになる。
動きが、これまでのプロレスと全然違っていた。ブルースリーのように華麗に動き、サーカスのように飛び跳ねる(もう少し、ましな表現ができると嬉しいが)。
子どもも大人も一目見ただけで夢中になった。当然、次の月曜日は学校中が沸いた。それはちょっとした社会現象になるほどだった。
はじめ、タイガーマスクは謎の覆面レスラーとして登場した。国籍も不明だった。だからタイガーも最初は英語をしゃべっていたように記憶している(記憶違いだったら、ごめんなさい)。
今だったら、ネットでググってすぐに正体がばれてしまうことだろう。しかし、時代は昭和、情報量の少ないおおらかな時代だった。
正体不明の覆面レスラーというのがいい。まさに僕らはちびっこハウスの子供達と同様に興奮した。
タイガーマスクは強かった。世界中からやってくる虎ハンターの挑戦を次々と跳ね返した。今調べてみると、1981年4月蔵前国技館に初登場して、1983年8月にマスクを脱ぐまで、わずか2年半の活動に過ぎない。あの感動がたった2年半だったなんで、本当に時間とは不思議なものだ。
そして、時はあっという間に過ぎ去っていった。
タイガーマスクがマスクを脱ぎ、素顔の佐山聡に戻ったとき、僕らの中の何かが確実に終わりを告げた。
謎というのは、いつの時代でも人々をわくわくさせるものらしい。
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出雲神話史上、最大の謎と言えば、ヤマタノオロチの正体だろう。
古事記に、ヤマタノオロチは「その目は丹波ほうずきのように真っ赤で、身体一つに頭が八つ、尾が八つあります。また、その身体にはコケだの杉・桧の類が生え、その長さは谷八つ、峰八つを渡って見えます。その腹はいつも血が垂れてただれております」とある。
スケールが神話上の登場人物と比べても桁違いである。昔から、ヤマタノオロチの正体は何だったんだろうというのが議論されてきた。もちろん、今も正体はわかっていない。
ただ、古事記にヤマタノオロチは高志(今の北陸から東北)からやってくると書いてある。とすると、各地の風土記に記載があってもいいはずなのに、そういう伝説は一つもない。当時の古老がヤマタノオロチを海で見たという話も伝わっていない。不思議だと思いませんか。
しかし、考えようによっては謎が謎として残っているということは、とても素晴らしいことだとおもう。汲めど尽きぬ源泉のように、いつの時代でも、どんなに時がたっても、我々をわくわくさせる。
だからこそ、今も出雲の各地でヤマタノオロチの伝説は続いている。
島根県雲南市木次町には印瀬の壺神(いんぜのつぼがみ)というヤマタノオロチが飲んだという酒壺が祀られている。その壺は地元で「壺神さん」として親しまれている。
当時、我々を熱狂させたタイガーマスク。現在、佐山聡さんは体調が悪く、病魔と闘っていると聞く。また、カンバックして元気な姿を見せてほしいものだ。
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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら、印瀬の壺神(いんぜのつぼがみ)にもいらしてください。
お酒は出てきませんが・・・・。
お待ちしています ♪
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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