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なきむし
「最近、歳のせいか涙もろくてね」
昔からよく使われることばだ。ほんとうにそんなに涙もろくなるものかななんて思っていたけれど、ほんとうでした。
最近、ほんとうによく泣くようになった。
毎朝欠かさず見ているHNKの朝ドラも、そこで泣けてくるかというところで目じりに涙がたまってくる。今、放送されている「ちむどんどん」もちょっとした場面でウルッとくるのでハンカチが欠かせない。
若い頃はそんなではなかったんだよと弁解したいところだけれど、それを証明する手立てが今のところない。これが歳をとるということなのだろうか。
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学生時代、忘れられないのは友人Aとの別れだろう。お互い卒業後は地元に帰ることなっていたが、Aが先に地元に帰る日が決まったので、お別れにいった。Aには彼女がいたので(ぼくは当然いなかった)、ぼくはいいよと断ったが、ぜひ来てくれといわれ、しぶしぶ出かけることになったのだ。
新幹線のプラットフォームにはすでにAと彼女が到着していた。もうすでに彼女は泣きだしている。ほかに友達はいない(ぼくだけきてしまったのか)。
(やばい、これは・・・)
なぜ、Aはぼくを呼んだのだろう。彼女とふたりで別れを噛みしめればよかったんじゃないだろうか。すると、ふとAがぼくのところにやってきて、
「今までありがとう、楽しかったよ」
といって、握手を求めてきた。
そんな青春マンガじゃないんだからと思いながら右手を差し出した瞬間、突然涙があふれて止まらなくなった。
そうだった、Aと彼女を結び付けたのはぼくだったんだ。
あれ、ぼくは昔から泣き虫だったのか・・・
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出雲神話の中で個人的にもっとも哀しい別れといえば、大国主命と少名毘古那(スクナヒコナ)神との別れだろう。大国主命は国造りを始める時、隣にいつもスクナヒコナがいた。スクナヒコナと大国主命に関しては面白い話が多くて、いつか紹介したいと思うのだけど、長くなるので今回は割愛させていただく。
スクナヒコナは国造りの途中で、粟に弾き飛ばされて海のかなたに消えてしまう。このときの大国主命の心理描写はまったく述べられていないが、さぞ悲しんだことだろう。大国主命も友との別れに際し、男泣きしただろうか。
今は大国主命とスクナヒコナ一緒に出雲大社に祀られている。
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6月17日(金)、ついに司馬遼太郎原作の「峠 最後のサムライ」が公開される。「峠」はぼくが最も愛する愛読書。もう何回読んだかわからない。
あの疫病のせいで、延期に延期を重ねたが、ついに見ることができる。
これを見るまではぜったい死ねない(おおげさ!)と思っていたが、いよいよ本願が叶うときが来た。
もし、出雲の映画館で「峠 最後のサムライ」上映中に嗚咽が聞こえたら、それがぼくだ。
きっと泣く、間違いなく泣く、絶対泣く。
今からハンカチを洗って待っているので、はやくこいこい6・17 ♪
なんだか泣く話ばかりになっちゃったな。
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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら、出雲大社にもいらしてください。
大国主命はきっと泣かずに待っててくれるはず ♪
お待ちしています。
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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