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ぼくはつめたい人間
ぼくは冷たい人間だ。
飼い猫ビッケが亡くなったのに、涙一つも流さない。
あれから1週間、ヒトコトヌシは部屋にこもりっきりで、ずっと泣き暮らしている。
オロローン、オロローン(涙)
なんだか可哀想である。ペットが亡くなるとそれほど悲しいものなのか、ぼくにはわからない。そこでネットをググってみると「ペットロス」なる言葉を見つけた。
ここ一週間くらいはずっとnoteで「ペットロス」に関する記事を読んでいた。一様にみな、ペットを失った悲しみにあふれている。きっとヒトコトヌシも同じ気持ちなのだろうな。
ぼくはといえば記事にするネタはたくさんあるのだけど、なぜか机の前に座っても記事を書く気が起きない。なんだか石ころが喉につかえているようで、食事もおいしくない。はてさて、どうしたものか?
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「伊予国風土記逸文」に大国主命とスクナヒコのことが掲載されている。
伊予の国風土記にいう、大穴持命は、見て後悔し恥じて、宿奈比古奈命を活かしたいと思い、大分の速見の湯を下樋(地下樋)によって(海底を渡して)持ってきて宿奈比古奈命に浴びさせたので、しばらくして生き返って起き上がられて、いとものんびりと長大息して「ほんのちょっと寝たわい」といって四股を踏んだが、その踏んだところは、今直温泉の中の石に残っている。
大国主命とスクナヒコは「国造り」でこの国の基礎固めをしたことで知られているが、意外に仲違い(なかたがい)もよくしている。しかしすぐに仲直りをしてまた国造りを行ったという。
あるとき、四国の伊予を訪れたスクナヒコが卒倒したという。このときスクナヒコは死んだともいわれている。古代では死ぬと黄泉の国に行くと信じられいていたので、スクナヒコは実はまだ死んでいなかったのであろう。
スクナヒコの仮死(?)を嘆き悲しんだ大国主命は、海中に樋を通して速見の湯(大分の別府温泉)を引き、スクナヒコに注ぎかけられたところ、生きかえられたという。これが道後温泉の由来とされている。
それが本当のことかは別として、大国主命がどうしてもスクナヒコを蘇らせたかった気持ちはよく伝わる。ご存じのように別府温泉から道後温泉まではゆうに100kmはある。いつもは喧嘩ばかりしていても、本当の一大事の時には身を捨てても助けようとする。大国主命とスクナヒコの結びつきがよくわかるエピソードだ。
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さて、昨日めっぷさんが紹介してくださった「ラーメン赤猫」が気になって、ジャンプ+で読んでみた(めっぷさん、いい漫画を紹介していただき、ありがとうございました)。
「ハハハッ」と笑いが漏れた。しかし、われながら驚いたことに、そのとき一筋の涙が頬を伝わってポトリと落ちた。ようやくぼくは気付いた。
そうか、ぼくはビッケが亡くなって悲しかったのか
いやはや、じぶんのことはわからないものだ。
そうだ、ヒトコトヌシも誘って温泉にいこう。そして何か暖かいものを食べよう。冷たくなったこころもすこしは暖かくなることだろう。そうだ、そうしよう。
「お~い、ヒトコトヌシ、いい加減部屋から出て来いよ」
ヒトコトヌシ:ひとこと解説(随時更新)
特徴: ひとこと多い
口癖: ズバリ、一言いわせていただく!!
タイプ: 女子高生
尊敬する人物: ボヤッキー
好きな食べ物: スルメ
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今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
今回は出雲の紹介ではありませんでしたが、別府温泉も道後温泉も素敵なところです。
ぜひ、お出かけください♪
冷たくなったこころも暖まります。 暖かいこころもさらにあたたかくなることでしょう♪
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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