「青銅器の使い方」 ―出雲神話から青銅器の使い方を考える―
はじめに
1984年7月、わが町、斐川町(現出雲市)は大いに賑わっていた。出雲史上最大の発見といってもよい、神庭荒神谷遺跡の青銅器が出土したからである。銅剣358本、翌年(1985年)には銅矛16本、銅鐸6個、圧倒的な物量であった。ここから出雲神話の再発見が始まったといってもいい。
出雲は神話の国と言われて久しい。それは「古事記」や「出雲国風土記」に多数の出雲神話が掲載されているからである。しかし、それは架空の物語であって、実際にあった史実ではないというのがこれまで大半の見方であった。ところが、神庭荒神谷遺跡の青銅器の発見によって、この日を境に出雲を見る目が一変することとなる。地元ではやはり出雲神話は史実に基づいたものだったのだ、と騒ぎ立てられた。県外からも大勢の研究者がいらっしゃり、喧々諤々の議論があり、否が応にも盛り上がった。まさに、明日にでも出雲神話の秘密が解き明かされるのでは、そう思ったものだ。
その後、加茂岩倉遺跡の39個もの銅鐸群の発見、田和山遺跡の巨大な祭祀跡の発見、高層建築だったかっての出雲大社の宇豆柱の発見などが相次ぎ、出雲神話の信憑性にますます拍車がかかった。そのはずだった・・・・。
あれから37年。いまだに出雲神話は深い、深い、霧の中だ。それは何故だろうと考えたときに、一番の原因は、結局のところ青銅器の使い方がわからないということにつきる。どんなに神庭荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の青銅器が圧倒的な物量であろうが、何のために使っていたのか分からなければ、出雲神話の真実には決してたどり着けない。
青銅器はいったい何のために使っていたのであろう。どういう使い方をしていたのか分かれば、出雲神話が何を物語っているのかわかるかもしれない。そして青銅器の使用方法を考察することで、実際に使用していた人々のこころに触れることができればという願いをこめて。
目 次
1.青銅器とは何か?
1-4.青銅器の用途について
2.出雲神話から青銅器を考える
3.出雲神話と青銅器に付随する「重さ」とは?
4.青銅器の使い方
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?