ぼくはドン引きコミュ障でキモ男
noteを書き始めて約1か月(最初の1か月は原稿を張り付けているだけだったので、一応除く)、だんだんとnoteの仕組みが分かってきた。
フォローしている方々の記事がTOPページに掲載されると、時間を見つけては、必ず読み込んでから♡マークを押す。これは初期にフォローさせていただいたみねさんに教えられた姿勢だ。
みねさんは誠実に美しい文章を紡ぎだす方で、いったいみんなはどんな文章を書いているのだろうといろいろ見ていく中でみつけた方だ。どこの記事か忘れたのだけど、そこで「いつもフォローしている方の文章は丁寧に読んでいる」と書かれていて、ぼくはなるほどそういうものかと納得した。
それからは、ぼくもみねさんを見習い、フォローしている方の文章はきちんと読んでから♡マークをつけるようになった。
ぼくのフォロー数は60ちょっとだけど、いまでもみなさんの文章を読むのに時間がかかる。みねさんはぼくの約2倍のフォロー数を抱えているのに大したものだと思った。
でもこれからどんどんフォロワーが増えていったら(毎日、ちょっとずつ増えている)、フォロー数も必然的に増えていくということになる。今でもいっぱいいっぱいなのに、これ以上増えて大丈夫なのだろうか。
まぁ、みねさんのフォロー数に至るのはまだまだ先のことだし、それまでにゆっくり考えてみよう(それにしても100単位、1000単位でフォローしているみなさんは、いったいどれだけの時間をそこに充てているのだろう)。
noteも約1か月経ち、ほんとうに色々なひとたちのいろいろな考え方があるのだなと、少なからず驚いている。なんといっても、ぼくごときでは解決できないような困難に直面していらっしゃる方々もいて、いつも頭が下がる思いだ。
中にはいったいなぜ自分は生まれてきたんだろうという根源的な問いをなさる方もいる。それに対する答えをぼくはもたない。
だから黙ってうつむき、その場を通り過ぎるしかない。ほんとうは誰も言ってくれないのなら、ぼくでよければ生まれてきてくれて、ありがとうって思ってますよと伝えたい。しかし、そんなことばは(残念ながら)何の慰めにもならないから、ぼくのことばは宙に浮いたまま、どこにもいかず漂っている。
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出雲神話の中で生まれてきてくれてありがとうと真っ先にいってあげたいのはイザナギ・イザナミだろう。
イザナギ・イザナミは神様初の男・女神である。この二人が協力して、この国を生み出したといわれている(ということは、生んでくれてありがとうと言い直さねばなるまい)。
後にこの2神はとある理由で仲たがいするが、二人のどちらかがいなくてもこの国は生まれなかったのだから、われわれはまずイザナギ・イザナミに「ありがとうございました」と感謝しなければならない。
わけあってイザナギは高天原に帰ってしまうが、イザナミは出雲の比婆山に葬られたといわれている。
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先日、ある方のnote記事にコメントしたときに、ちょうど誕生日だということを聞いた(ここはある方の名誉のために名前は伏せたい)。
あっ、これはあのことばを使うチャンスだ、と思った。
そこでコメントに「誕生日おめでとうございます。生まれてきてくれてありがとうございます。」と書いた(この方が苦しんでいるわけでも何でもないのに・・・)。
数日後、レコメントには明らかに戸惑いの色が感じられた。そのときコメントからはじめて「キョトン?」という音が聞こえた気がする。
その話を、現在反抗期真っ盛りの三男坊にしたところ、
「キッモ、それかなりドン引きだよ。まさにコミュ障だよ、コミュ障」
と思いっきり馬鹿にされた。
このときはじめてコミュ障(コミュニケーション障害)ということばを覚えた。
自分のことは自分ではなかなかわからないものだ。このnoteをやり始めてから自分のことがどんどんわかってきた。
ぼくは泣き虫でブサイクなドン引きコミュ障でキモ男だったのだ。
ぼくにいいところなんて、あるのだろうか。
それでもぼくは宙に浮いている言葉をできることならこの手ですくって、今も苦しんでいる方にそっと届けてあげたい。
生まれてきてくれて、ありがとう
明日はいい日でありますように
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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら、比婆山にもいらしてください。
そのときは、イザナミに「生んでくれてありがとう」と伝えてあげてください。
では、お待ちしています ♪
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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