永遠の若さをたもつ方法
noteを読ませていただいていると、ほんとに世の女性は美意識が高く、美しさや若さを保つためにたゆまぬ努力を続けているのだなと感心させられる。
女性の美しさはどの年代にも存在するとぼくは思っている。10代の美しさもあれば、30代の美しさもある。50代の美しさもあれば、80代の美しさもある。
これは友達の先生が、美しさとはものの見方であって、それはこちらが見出すものだとおっしゃっていたことに関連する。その先生(絵画教室で絵を教えている)曰く、フェルメール、ゴッホ、ピカソなどの絵画がそれぞれ全く異なる描き方だけどみな美しいのは、それぞれの美しさがあるからだということらしい(わかったようなわからないような)。
ようは、どの年代にもその年代なりの美しさがあるということなのだろう(そういうことでいいのでしょうか)。
しかし、残念ながらこと若さに関しては歳をとればとるほど失われていく。当たり前のことだが、若さと年齢は哀しいほどに反比例する。その川の流れを逆らうかのように(こういう表現でいいのか?)、若さを保とうとする女性のみなさんにはほんとうに感心させられる(馬鹿にしているのか、お前は。すいません)。
そこで、若さを保つために絶え間なき努力をなさっている女性の皆さんに朗報が!!
なんと、ぼくは先日、出かけた粟島神社でとんでもないものを発見した。そこに永遠の若さをたもつ秘訣が隠されていたのである。
粟島神社に登ろうとしたとき、ぼくは案内板に目が釘付けとなった。
静の岩屋と書いてある。ここは八百比丘尼(やおびくに)伝説の場所だった。
八百比丘尼とは日本の伝説上の人物である。伝説によると人魚の肉を食べた娘は不老不死になり、いつまでも若いままだったという。
ぼくはこれだと思った。その人魚を捕まえて、女性の皆さんに食べさせてあげれば、いつまでも永遠に若さが保てるではないか。
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ちょっとまて、この文章はここからいつも出雲神話に話をつなげるはずだろ(出雲神話を語るのがぼくの生業なので)。まったく繋がっていかないどころか、人魚伝説なんて出雲神話に載ってないじゃないかと思うかもしれない。
さにあらず。
実は、この粟島神社は昨日も申し上げた通り、スクナヒコを祀っている。スクナヒコはこの場所から粟にはじかれて海のかなたにいってしまったとされる神様。
実は、海のかなたとは常世(とこよ)のことである。常世とは永遠にそのままの姿でいられる場所とされている。そして、いちどそちらにいってしまうと、もう戻ることはできない海の底にあるといわれている。
かって常世にいって戻ってきた伝説上の人物が一人だけいる。
それが浦島太郎
彼がカメに連れられて行った場所は竜宮城ではなく、はじめは常世であった。それがいつのころからか竜宮城にかわってしまった。
かりに、スクナヒコが常世にいるとすれば、粟島神社周辺で八百比丘尼が人魚の肉を食べてしまったのは偶然ではない気がする。スクナヒコを祀ってくれたお礼に常世の魚(人魚)を送ってよこしてくれたのではなかろうか。
その人魚はスクナヒコが養殖していて、自分を今でも覚えていてくれるところに放流しているのではないか。
ということは、スクナヒコを敬愛するぼくにもチャンスがあると見た。
今度、粟島神社に行ったときに、ぼくは人魚を釣ってみようとおもう。そして、全国の若さを保つために不断の努力をなさっている女性の皆さんに、人魚の刺身を食べさせてあげようではないか。
そのときは、まっさきにここで報告するとしよう(待っててネ)。
*
ただ、ひとつ気になることがある。
ぼくは人魚の姿を知らない。
釣ってもそれが人魚であるかわかるだろうか。
・・・それだけが心配だ
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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら粟島神社にもいらしてください。
永遠の若さが手に入るかも ♪
では、お待ちしています ♪
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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