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2-2.イザナギイザナミ神話と青銅器を使用した人々

 「古事記」では、はじめに見えない神々がでてくる。これらは人の形をしていないので、見ることができない神様たちである。その後、イザナギ、イザナミの神が登場する。イザナギイザナミの男女神が力を合わせ日本の国々、島々を生み、様々な神様を生んでいく。正直に言って、イザナギ、イザナミの両神こそが「国造り」をしたといってもいい。ところが古事記では彼らのしたことは「国生み」ということになる。そしてイザナミが最後に火の神を生んでしまい、病気になり死んでしまう。ところで古事記にはイザナミが出雲で死んだとは書いていない。ただ前後の話を総合して出雲で死んだのではないかと考察することもできる。それは後にイザナギのみそぎによって生まれた3神の一人、スサノオがどうしても母なるイザナミに会いたいと出雲に向かったことから推察できる。よってイザナミは出雲の神様だともいえるが、少なくとも死んだ地は出雲であることは確かであろう。このことからイザナミから出雲神話は始まったとも言ってよい。それはイザナギがイザナミを求めて黄泉の国へ行ったことから始まる。

 イザナギは出雲に帰ってくるとイザナミが既に死んでいることを知る。嘆き悲しんだイザナギはイザナミに生き返ってほしいと願う。ところが死んだはずのイザナミがしゃべりだし、自分は黄泉の国の食べ物をすでに食べてしまったので帰ってくることができませんと言う。それでも生き返ってほしいとイザナギが言うものだから、イザナミは一応、神様にお願いしてみるという。イザナミは自分が帰ってくるまで、絶対覗いちゃだめよとイザナギに忠告する。ここで本当によみがえったならキリスト教になるところだ。ところがやはりそうはならず、イザナミ教は誕生しなかった。というのもいくら待ってもイザナミが帰ってこないので、イザナギはつい忠告を破って覗いてしまう。じつに、哀しい場面である。
 
 イザナギは覗きたくて覗いたのではない。妻であるイザナミが待てど暮らせど帰ってこないから、イザナギはいてもたってもいられなかったのである。おそらく、待った時間は数分や数時間どころではないだろう。ひょっとすると何日も何日も待ったのではなかろうか。いや神様なのだから何年も待ったのかもしれない。それでも帰ってこないのだから、それは心配になるだろう。いったいいつまでイザナギは待てばよかったのだろう。神様教えてください、といいたくなる。

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黄泉比良坂

 ご存じのように、その結末は哀しいどころか恐ろしい話にとってかわる。イザナギが覗いたイザナミの姿は腐れ果てており、原形をとどめていなかった。それなのにイザナミは「見~た~な~ぁ~」とばかりに黄泉の国の軍団を使って襲い掛かってくる。這う這うの体で高天原に帰ったイザナギは、禊によってアマテラス、スサノオ、ツクヨミの3神を最後に生む。

 ここまででイザナギイザナミの物語は終わりである。興味深いのは、この物語の中で今ではなじみのない黄泉の国が登場していることである。黄泉の国とは死んだら誰もが行く地下世界のことであるらしい。おそらく現代日本で死んだら黄泉の国へ行くと信じている人は一人もいないであろう(一人くらいはいるのかな?)。これはとても珍しいことである。というのは、本来、人はそれほど変わらない。だからこそ、どんなに1000年たとうが、2000年たとうが、その時代の人々の営みに共感を覚え、学ぶことができる。その積み重ねが歴史であり、その先に神話も存在しているはずである。ところがこの黄泉の国はいつの頃からかすっかり忘れ去られ、我々は共感することすらできない。想像してみていただきたい。あなたが死んだら暗い地下で一生閉じ込められて生活するのである。友達はミミズやモグラ、たまにやってくるネズミくらいである。いったいどうしてこの黄泉の国という世界が成り立ったのか不思議である。ただこの黄泉の国は日本発祥のものではなく中国で成立したものらしく、地下に黄色い泉がある死後の世界として古くから知られていたらしい(今でも中国では黄泉の世界が信じられているのであろうか?)。今では忘れ去られた黄泉の国であるが、当時の人々には理解できる共通の世界観だったはずである。

 出雲に猪目洞窟遺跡がある。出雲市猪目湾の西端にある海蝕大洞穴で、奥に進むにしたがって幅と高さとを減じ、トンネル状の岩隙となる。昭和23年10月、漁港修築中に偶然推積層から各種年代の遺物が発見された。遺物は縄文式土器、弥生式土器、貝釧及び土師器、須惠器、各種木製品より成り、人骨も埋存している。この場所は黄泉の世界の入り口と言い伝えられており、この場所の夢を見ると次の日に死ぬという恐ろしい伝説まである。この出土遺物の状況から、黄泉の国の世界観は少なくとも縄文時代から古墳時代までは信じられていたということになる。

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猪目洞窟遺跡

 ということは、出雲の青銅器依頼主と青銅器制作集団である親方達もみな、この黄泉の国という世界観(死生観ともいえる)を受け入れ、誰もが死後、黄泉の国へ行くことを知っていたということになる。このことは後で考えていきたい。それでは次はイザナギの3神のひとりであるスサノオの出雲神話を見ていこう。

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