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私たちに寄り添う優しさと美しさ -感性の足あと-
はじめに
-感性の足あと-では、本や展示、映画、etc..、生活のなかで幸運にも触れる機会を得たさまざまな創作物との交流から、個人的に感じ、考えたことを記しています。
今回はfoxco氏の展示、”The Longest Night”を鑑賞させていただきました。
展示風景や作品、アーティストの思いなどは、↑の記事、本稿末尾付近に添付の記事からご覧ください。
それでは、めくるめく作品と感性の世界へ。
ロンドンの夜
やさしさ、しんみりとした気持ち、あたたかさ。
そういったものが心にまっすぐに沁み入ってくるのを感じた。
いっさいの屈折なく、曲がったむずかしさなく、心にそっと寄り添ってくれる作品たち。
ロンドンの夜に描かれた作品たちは、生きものがたのしく暮らす静かなな湖畔のような雰囲気をたたえていた。
「きれい」「愛らしさ」の扉
作品を目にしたときに真っ先に心に浮かんだのは、「きれい」と「愛らしい」だった。
やさしい光と星が満ちた、うつくしい展示空間。かわいらしさとひとさじのユーモアをそなえた動物たち。
繊細だけれどどこかなじみ深いような気持ちにさせてくれる線のはこび。
それらは現代のわたしたちにとって、作品世界への「扉」であり、わたしたちが臆することなくそこへ足を踏み入れることができるものだ。
さみしさも、もしかしたらすこしのせつなさも包み込んでくれるやさしさ、あたたかさ。そういったものが作品からあふれてきているみたいだった。
この「あふれてきている」という気持ちも、あの「扉」があるからこそ感じられたものなのかもしれない。
うつくしさ、やさしさの近さについて
うつくしさとやさしさというものは、もしかしたら現代に生きるわたしたちの、心の中のすごく近いところにあるのかもしれない。
きらめく星のかけら、白く光る線たち、繊細なレースの天蓋は、ふたつをあわせもってそこに存在していたような気がする。
うつくしいものにふれると、やさしい気持ちになる。
やさしい気持ちは心の奥のなにかたいせつなものが動いたときの感情であって、
そのもろくてきらめいているものが動いたときの気持ちは、なにかを「うつくしい」と感じるときの感情にすごく近い気がする。
同じいまを生きるということ
現代に生きるわたしたちは、当たり前かもしれないけれど、現代の感性を持ち合わせている。
そしてそれは、現代に生きるアーティストもきっと同じだろう。
同時代に生きるからこそ、伝わってくるもの。他の時代であったら「思いを馳せる」ことしか出来なかっただろうけれど、
同じいまを生きるからこそ、感じられるもの。そういうものがあるような気がする。
たいせつなひとと共有する時間
わたしが訪れたときには、ほんとうにたくさんのお客さんがいた。
もちろんわたしのようにひとりで来ている人もいたけれど、多くはお友だちや家族、パートナーと連れだって来ている人たちだった。
「たいせつなひとと時間を共有したい」空間。そんな雰囲気がその場には漂っていたように思う。
うつくしさ、やさしさ、そして隣に寄りそってくれるもの
あの場にいたひとたちは、なにを思い、なにを感じていたのだろう。
ひとりひとりがロンドンのしずかな夜を想い、
そんなときに空を駆けるおばけいぬを想い、
目にはみえないけれどたしかにじぶんの心の中にあるたいせつな存在に想いを馳せていたのだろうか。
現代に生きるわたしたちと、それに寄りそうものとして存在しているアートがあるのかもしれない。
うつくしさとかやさしさとか、そういったものを思い出させてくれる存在。
それはきっと、わたしたちから遠く離れたむずかしいところにあるものなのではなくて、
隣にそっと腰かけて肩をぽんぽんとたたいてくれるような、そんなものなのかもしれない。
さいごに -ごあいさつ-
ここまでみていただき、ほんとうにありがとうございます。
みてくださる皆さまがいてくださるから、
こうして活動を続けることができています。
言葉とイメージ、そして思索することをたいせつにしながら活動をしていますので、よかったら覗いていってくださいね。
それでは、皆さまに良い日が訪れますよう。
泉伶カノ